
みなさん、こんばんは!
タカミチです。
最近、休日は午前中に妻と『キングダム』を観ていますが、エピソード4の呂不韋との覇権争いを観ていて感じたことがありました。
『キングダム』を知らないと「なんのこっちゃ」という内容ですが、極力知らない方にも伝わるように書いてみたいと思います😅
『キングダム』は面白いので、気になったらぜひ観てみてくださいね!笑
ただ、ちょっとだけネタバレ注意です💦
のちに秦の始皇帝となる若き大王・嬴政(えいせい)と、その嬴政から王座を奪わんとする王に次ぐ権力を持つ相国・呂不韋(りょふい)の、長い権勢争いの果てのいよいよの決着の闘い。
主人公である秦の将のひとり・信(しん)は、物語冒頭で起きた王弟・成蟜(せいきょう)の反乱の際に嬴政を救ったことで、それ以来主従関係を超えて無二の友として、中華統一の夢を共有して戦ってきました。
信と嬴政にとっては、呂不韋はまさに獅子身中の虫、秦における最大最悪の癌のような存在です。
僕はこの先の話を漫画で読んでいないので分かりませんが、言えるのは呂不韋という中華全土でも類を見ない傑物を倒せたからこそ、中華統一という不可能とも思われるような偉業を達成できたのでしょう。
この傑物・呂不韋ですら、中華統一を目指すことなど”狂気”以外の何物でもないと断言しました。
現代に置き換えれば、世界征服を目指すことと等しいと思われます。
ここで、呂不韋の存在を個々人の悩みに置き換えて考えてみてください。
呂不韋級の悩みとなれば、それは死にたくなるような巨大な悩みでしょう。
「人生詰んだ。。」と言いたくなるような悩みに相当すると思います笑
しかし信や嬴政は、最初は”詰み”レベルの劣勢からはじまり、ひとつひとつの闘いを着実に乗り越えて力をつけ、呂不韋と並ぶまでに成長しました。
人生に置き換えれば、巨大な悩みを細分化して、克服できる小目標から少しずつ克服して自信を身に着け、巨大な悩みそのもののと対峙できるようになったということです。
己の悩みが大きければ大きい程、それを達成した時にそれだけ心が強く成るということ。
この単純な構造を、呂不韋というヤバすぎる敵を観て感じた次第です笑
ちなみに、決戦前に嬴政と呂不韋は膝を突き合わせて対談しますが、「天下とは何か」と語った呂不韋の思想は、現代のグローバリズムに通じるものを感じました。
商人出身の呂不韋は、「お金の力であれば、人を殺めずに世を治めることが出来る」と主張します。
武力で途方もない人を殺めた末に天下統一をするという嬴政の野望は「狂気でしかない」と、もっともらしい事を言うわけです。
お金の力で人々の欲望を操れば、血を流さずに統治できるし、国はこれまでにないほど富むと呂不韋は断言しました。
この呂不韋の発言を聞いて「なるほど~、現代のグローバリストの思想そのままだな」と感じました。
作者の原泰久さんは、現代の在り方を風刺するつもりで呂不韋を描いたのでしょうか?
現代は、グローバリストらが裏で金融を操ってきた”お蔭”で、ここまで便利で富裕な世の中になりました。
呂不韋の言う通り、お金の力で人々を操り、欲望を膨らませて経済が発展してきたのです。
仮に、呂不韋の代だけを切り取ってみれば、国が富むきっかけを生んだ呂不韋は英雄視されるかもしれません。
しかし、現代を観ればわかるように、世代が変わるたびに初志は失われ、歪が大きくなっていき、為政者までもお金で支配されるようになってしまいました。
政治ブログではないので社会情勢を詳しく語るつもりはありませんが、その行きつく先が「人民のことを考えない世界統一政府」の発想です。
グローバリストは、富める者による富める者のための世界を作ろうと動いています。
現代は、お金に執着すると結局は人の心が失われた政治に行きつくという良いお手本ですね。
呂不韋の思想、、「語るに落ちるとはこのことだなぁ」と、得意げな弁舌を観ながら思っていました。
お金を操っていると思っていた己も、すでにお金に支配されているということに気づいていない、、完璧すぎる呂不韋にちょっと親近感を覚えた瞬間でした笑
執着するとロクな事にならないのはお金だけではありませんね。
まだ嬴政のターンは観ていないので、どういう言葉で呂不韋を論破するのか楽しみにしています😄
※画像の出典元:http://buzz-manga.blog.jp/KINGDOM-vol39.html