ヴィンランドサガ

※画像引用元:https://animestore.docomo.ne.jp/animestore/ci_pc?workId=25007

みなさん、こんにちは!
 
タカミチです。
 
昨日は休みだったので、最近の習慣となっている午前中のアニメ鑑賞をしていました。
 
ちょっと前に『キングダム』を見終えてしまったので、『ヴィンランド・サガ』を観始めました。
 
『キングダム』は紀元前250年くらいからの中国戦国時代のお話ですが、『ヴィンランド・サガ』は11世紀初頭の西ヨーロッパの戦国時代のお話です。
 
『キングダム』は現代の在り方に対しての強いメッセージ性を感じました。
 
その一方で、『ヴィンランド・サガ』からは現代人の魂の在り方に対するメッセージ性を強く感じました。
 
北欧・イングランド統一を果たすクヌート大王、そしてヴァイキングを始めとした戦士たちが血で血を洗う殺戮の時代です。
 
ある日突然、村がヴァイキングに急襲されて強奪、殺戮、強姦などをされるような救いのない日常でも、人々はその日食べられることを神様に感謝し、精一杯けなげに生きていました。
 
若きクヌート王子の従者のひとりである、神がボサボサの冴えない牧師がいるのですが、その一見廃人のような牧師が唯一求めているものは”愛”でした。
 
ヴィンランドサガ
引用元:https://booklive.jp/bkmr/vinlandsaga
 
「愛が全てに価値を与えるのです。愛なくしては金も銀も馬も美女も全てが無価値だ」
 
この牧師のセリフを聞いて、作者の幸村誠さんの真理を突いた言葉の選択に感服しました。
 
この牧師は、愛、、つまり神様そのものを求めていたと感じます。
 
神様というご存在の本質は愛だと知っており、その愛が何なのかを探していたのです。
 
主人公・トルフィンの父親・トールズはその時代で北海最強の戦士でしたが、ヴァイキングたちがトルフィンを人質に取ったことにより、我が子を守るためにためらいなく命を差し出します。
 
その様子を同行していたヴァイキングから聞いた牧師は、そこに求めていた愛があったと知り、神を体現した者が居たことに嬉しくなります。
 
しかし、その直後にヴァイキングたちが村を襲い、全てを強奪し村人全員を殺害する様子を目の当たりにして絶望します。
 
その後、牧師はクヌート王子と従者とともに、亡くなった村人たちのために祈りを捧げますが、あまりに惨い現実を目の当たりにして「我らの父よ、私はあなたの愛を疑っています」とつぶやいてしまいます。
 
それを聞いていたクヌート王子は「やめろ!」と叫んで静止しますが、神の存在を疑ってしまうほどこの時代は凄惨だったのです。
 
誰よりも敬虔に神様を信じていた牧師さえも疑ってしまうほど、己の利益のために殺し合う人間の有様はあまりにも愚か過ぎたのです。
 
これはカタチを変えて現代でも当てはまりますが、牧師のそう言いたくなる気持ちはよくわかるものの、人類の背負う自業自得が現れているだけだと感じました。
 
哀しいかな、人類が積み重ねてきた因果がこうした時代を生んできただけだと感じます。
 
神様は人類が深い業を背負う前から愛そのものであり、この時代も全く変わらず愛そのものでした。
 
疑いようのない愛そのものであり、変わったのは人間なのです。
 
『ヴィンランド・サガ』でも、太古の昔のケルト民族の時代には、精霊とともに暮らす理想郷だったことが語られています。
 
この時代には、人間は神様の愛を感じ、愛を体現して生きていたことでしょう。
 
それが、己の利益のために殺し合うようになり、それが拡大して国を奪い合うようになりました。
 
これが殺しの連鎖の深い因果を生み、その昇華のためにクヌート王子のような統一王が現れるのかも知れません。
 
また、トルフィンの父・トールズが、殺しを誰よりも極める中で本当の愛に気づき剣を捨てるのも、愛憎表裏一体の真理があるように思います。
 
そして、トルフィンもまた同じように、父を殺された憎悪の中で生きながら、宿敵・アシェラッドが死んだことをきっかけに憎悪から強制的に開放され、無気力の時代を経て本当の愛に気づいていきます。
 
何が言いたいのかと言うと、たとえ今が大きな悪を抱えていても、それがきっかけで本当の愛に気づくことがあるということです。
 
善と悪は表裏一体、、もちろん悪は悪いことで歓迎されませんが、改心した時からいつでも神(愛)に近づけるのです。
 
どんな悪ですら神様は見捨てることはありません。
 
なぜなら、人類の深い因果を昇華するために、悪も重要な役目を果たすことになるからです。
 
「神様の視点では善も悪も無い」というのはこういうことだな、と『ヴィンランド・サガ』で感じました。
 
人類から殺し合いの連鎖が無くなる時は、”憎む”という行為を人類が辞めた時でしょう。
 
人類がそこに向かうことが出来るのか、ゆっくり眺めていきましょう。
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
お読みいただきありがとうございます😄

   

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