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みなさん、こんにちは!
タカミチです。
「鳴門神示」第一弾は、我愛羅の額の”愛”のマークについてです笑
69巻で守鶴の人柱力の前任者である分福が語られていますが、そこで”愛”という漢字が我愛羅の額に刻まれた理由が明らかにされています。
分福は、人の心は水鏡であり、水面に映った表面上の心は常に揺れ動くもの、ブレるものだと語ります。
その一方で、”裏の心”は常に相手と分かり合いたいと求めているものであり、”裏の心”を理解して受け入れることで悟る事が出来るとしています。
これは、記事「”愛”を探すことで悟り・真理に至る」で書いた通り、「愛を知ることが真理を悟ることに繋がる」という事と同じです。
「相手の”心”を”受”け入れることが”愛”である」

生涯獄中に繋がれ、忌み嫌われながら孤独に守鶴と生きながらも、人を愛し続け完全に悟りを開いた僧である分福は、このように説いたわけですね。
真理を内包している漢字とは本当に奥深いですね。
相手の心を受け入れるというのは、本当に難しいことです。
思い込みを無くして、相手とコミュニケーションを取れる人はそうそう居ないと思います。
千差万別な相手の心を、どれだけ素直に受け入れられるように成れるかが、この世でのひとつの大きな試練なのでしょう。
そして、相手の心を受け入れるためには、自分の心の受け入れ体制がしっかりしていなければいけませんね。
時には傷つく覚悟も必要でしょう。
そう考えると、人を愛するとは何と難しいことでしょうか。
でも、お釈迦様ではないのでそこまで難しく考える必要はありませんね。
相手の心を半分でも受け入れる気持ちがあれば、充分愛情が伝わると思います。
お釈迦様を目指したい方だけ、水のような柔軟な心で、どんな相手の心も受け入れられるように努めましょう笑
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
お読みいただき、ありがとうございます😊
人を愛することは難しいですね。
でも人を愛せずにはいられません。
かたちのない、相手の心を受け入れることで愛情が生まれる…厚みのあるしっかりとしたグローブを構えてこそ相手の気持ちを受け止める資格が与えられる。傷つく覚悟も必要なんですね。相手の心はその人のもの、自分の思うような直球を向けてくれるとは限らない。
独りよがりではない、懐の深い自分を持ってしてはじめて人を好きになれる…まだまだです。自問自答しています。大切に思う人に愛情を持って向き合いたい。
心にひびくお話、ありがとうございます。
ふっこさん
お久しぶりです!
ブログにもコメントいただけて嬉しいです😀
厚みのあるグローブを構えて相手の気持ちを受け止める、、とても上手い表現ですね。
直球ばかりの人もいれば、カーブばかり投げる人も居る、あらゆる球種を投げてくる人も居るとなれば、受け止め切れずに体に当たって痛い思いもすることもありますよね。
なるほど、、人生は懐の深いキャッチャーになることが大切ですね笑
ふっこさん、さすがです😆