
みなさん、こんにちは!
タカミチです。
安心した生活、幸せな生活を送るれるようになるために最も重要な事は、「自分で自分を認められるようになること」です。
自分を認められない内は、たとえ生活自体は楽しくても、どこか満たされない気持ちが残るものですね。
自分は嫌いだけど、人に優しくするのは好きという人も沢山いますが、自分が嫌いだという感情があることで精神的な歪みが生まれるのを、これまでご相談に当たってきてとても感じます。
自分が好きでないと、本当の自信を持つことができません。
自信を持つとは、”自神を持つ”ということ。
つまり、自信がなければ内在神様を心の奥に押し込めることになり、あなたの神性を正しく発露することができなくなります。
この状態は因果律を狂わせて運気を下げますので、とてももったいないです。
では、どのようにすれば自分を認めて、自分を好きになっていくことができるのか。
これは、その人の価値観によって視点も方法も変わってくると思いますので、いろいろな視点から考えてみたいと思います。
人に認められるという、承認欲求を満たすことが重要
大前提として重要だと感じるのは、“人に認められる”ということです。
僕たちは、このために生きていると言っても過言では無いでしょう。
人はひとりでは生きてはいけませんから、支え合い、認め合いながら生きていくことが健全な人生を送る上で重要になります。
つまり、ある程度承認欲求を満たすことが出来ないと、いつも不足感や孤独感に苛まれることになります。
この承認欲求を満たすための方法は、簡単に大きく分けて2つあります。
ひとつは、自分の能力を示す方法。
もうひとつは、他人に思いやりを発揮する方法です。
前者は内的な要因、後者は外的な要因ですが、手っ取り早く承認欲求を満たせるのは後者となります。
前者の方法は、能力がなければそれを身に着ける所から始めなければいけませんが、後者は今すぐにでも実行できるお手軽な方法です😊
そして、健全に承認欲求を満たしていくには、この内的・外的要因をバランスよく育んでいく必要があると感じます。
能力を示すことに固執すると、人は高慢になり、自己顕示欲が過剰になる傾向が強く成ります。
また、思いやりはいくらでも発揮して問題ありませんが、自分の能力への自信がいつまでも無い状態だと、「自分はダメな奴だ」と、劣等感から必要以上に自分を卑下してしまう傾向が強く成ります。
人間の厄介なところは、いくら人に優しく接しても、それだけでは自信が身に着きづらいというところですね。
自信が無いと、何かしら自分の粗を探しては、「自分はダメな奴だ、、」と卑下しがちになります。
「自縄自縛(じじょうじばく)」という四字熟語がありますが、自分を縛っているものは環境でも他人でもなく、自分自身だということですね。
誰しも大なり小なり、「己の能力を試したい」という欲求がありますので、ここをそれなりに満たさないと自信は身に着かないと感じます。
ただ、思いやりを発揮し人に好かれて認めらえるようになると、自然と能力も伸びる傾向が強く成ると感じます。
能力を発揮すると言っても、その能力を身に着けるまで時間がかかりますので、やはり今すぐできる思いやりを振りまく方法で承認欲求を満たすのがおススメです😄
物事を合理的、本質的に観る力が育つと自信は深まる
”自信が持てない”という状態のひとつの側面として、「分からない、把握していない」という認識できないことによるものがあります。
これは大小さまざま、ケースバイケースですが、例えば
「友達が何を考えているか分からない」
「学校の勉強が分からない」
「会社で上司の風当たりが強く成った理由が分からない」
「仕事が中々覚えられない」
「家族と上手くやって行く方法が分からない」
「社会がどういう状態なのか把握できない」
などありますが、上記以外にも人は分からない・認識できていないことの方が圧倒的に多いでしょう。
ただ、大部分は身近な事では無いため気になりませんが、身近なことであればあるほど、こうした認識不足は不安を掻き立ててしまいます。
この不安を不安で無くすためには、普段から物事を合理的に考える癖をつける必要があると感じます。
上記の例を合理的に考えてみると、、
「友達といえど他人なんだから分からないことの方が多くて当たり前」
「自分が勉強を出来ない理由を洗い出して、一つずつ解決策を考えてみよう」
「上司はいろんな部下の面倒を見ていて大変なんだし、もう少し様子を伺ってみよう」
「まずは自分に出来る仕事から完璧にこなせるようにして、同僚に聞くなどして少しずつ覚えていこう」
「独り暮らしをはじめて、少し距離を置いて家族を見つめてみよう」
「ニュースで報じられている情報の真偽を見極める目を養っていこう」
これは一例にすぎませんが、物事を冷静に見つめる目を養っていくことで、合理的な視点が育っていきます。
この合理的視点は、安定した人生を送る上でとても重要だと感じます。
少しでも、ご参考になれば嬉しいです!
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
お読みいただき、ありがとうございます😊
自分の事を言われている様で、ドキッとします。
子どもの頃は、優等生を絵に描いた様に「出来る自分」をアピールしていたものの、いつの間にか自己犠牲してまで他の誰かに尽くす様になりました。
どちらの時も自分に自信が無くて不安で、やってもやっても満たされず…自己顕示欲は良くないものと思ってしまっていました。
抱えた愛着障害を乗り越えるためにも、もっと肩の力を抜くように自分の気持ちを大切にして自分を好きになってみたい…。
じゃないと心の中にいる小さな神さまに失礼ですよね。
素敵なお話、ありがとうございます。
ふっこさん
人生とは綺麗に生きれないものですよね。
ふと思うことは、40歳くらいまでは間違ったことも含めてガムシャラに生きてみて、40歳以降の人生の折り返しからはそれらを反省材料とし、人間的に一人前になっていくことが人生なのかもしれません。
そう考えると、昔の愚かな黒歴史は、これから学んでいくための最高の先生になるということですね😀
過去の自分が今の、未来の自分を創る、、これを意識出来れば人生において一人前に成って行けるのかも知れません。
ふっこさんの心の神様は、「大丈夫」と言っていると思いますよ😌