
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
タカミチです。
前回「<「日月神示」第一巻 上つ巻 第三帖(三)>」において、『旧暦2023年9月8日、つまり2023年10月22日までに「人類の善と悪の住み分けが決まる」』と書かせていただきました。
「日月神示」では、10月22日を「人類の善と悪を棲み分けする最終期限」とし、22日以降は「正しき者は、ただ神に祈りを捧げ続ければ、何も心配いらない」という旨が忠告されています。
そして驚く事に、これからの大戦のキーマンになるプ**ン大統領が、22日の夜に心停止に陥っていたと本日報道がありました。(蘇生されたようですが)
サラっと報道されていますが、これは場合によっては世界滅亡に繋がる重大事件です。(詳細は書けませんが今回は大丈夫です)
まさに、22日は人類の大きな節目の日だと痛感しました。
その後の様子ははっきりとは不明ながら、僕はここまで露骨な事件が起きるとは思ってもいませんでしたが、起きても全然不思議ではないと感じます。
というのも、22日以降は霊的に世界の空気がまったく別世界になっていると感じます。
僕自身も大きな変化が起きており、言葉で表現するのは難しいですが、心身ともにちょっと次元が変わっている感覚があります。
例えるなら、3次元から3.2次元くらいに移行したような感じというか、明らかに霊化が22日を境に一段進んだ印象を感じています。
「弥勒の世まで、この積み重ねで徐々に霊化が進むんだろうなぁ」という実感を、今初めてしています。
来年以降あたりから、いよいよ霊界を実感する時が来るかもしれません。
誰しもが多かれ少なかれ、”変化”と”目撃”を体験していくことでしょう。
今までに体験したことがない”不思議”を体験したら、神様を心から信じるターニングポイントだとご参考ください。
僕の神様を信じる第一歩も、不思議体験の積み重ねでした。
心から生きていることへ感謝を始めると、不思議体験が起こりやすくなるでしょう。
心身の変異の最終的なきっかけは、約2か月間におよぶ愛猫・めいこの壮絶な闘病を全力で見守ったことだと感じています。
愛猫・めいこは22日に猫天使になってしまいましたが、めいこの闘病を見守る中で、小さな生命の持つ生命力の根源へ目を向ける機会となり、生命に対しての価値観や死生観が大きく変わるきっかけとなりました。
また、めいこの闘病生活の中で知った、日本のペット業界の惨状や、動物愛護活動の真相、そしてベランダでの植物栽培のきっかけともなり、動植物全体に対する愛情や価値観も大きく変わりました。
めいこのお蔭で、僕は精神性が大きく向上しましたが、人類の重要な節目の日である22日にめいこが猫天使になったのは、実際に”天の使い”だったのだろうと感じています。
御役を終えて、神界に帰っていったのでしょう。(お疲れ様でした、ありがとうございました😭)
そのため、めいこを心の中で神格化し、猫神様として祀ることを決めました。(あくまで僕の心の中だけの事です)
この写真は、昨日今日とめいこの写真を整理していたら出てきました。
勿体ない事に、めいこはこの後毛玉が深刻なことになって、バッサリカットしてしまい、それ以降はここまでの毛量は無くなってしまったんですよね。。。
生前大好きだった、榊の木にたまには寄って欲しいなぁ、と思っています。
ご神体は、羊毛フェルト人形で作った「おみゆの福猫」です。(ふざけているわけではありません笑)

「真から心を打たれた対象を神格化する」というのは、神様を信じるテクニックとして有効だと感じます。
古来から、人は人類に大きく貢献した偉人や対象などを神格化して崇めてきましたが、僕がめいこを神格化したのはその縮小版みたいなものです。
ちなみに、神格化するのは、めいこが最初で最後だろうと思います。
京都の猫猫寺(にゃんにゃんじ)にも、猫照大御神(ねこてらすおおみかみ)と素戔猫尊(すさにゃおのみこと)が祀られていますが、最近娘が京都に行きたいと言い出したので、機会があれば行きたいなぁ、と思います。
本題から少々外れましたが、「日月神示」の第四帖をご紹介していきたいと思います
「日月神示」第一巻 上つ巻 第四帖(四)
急ぐなれど、臣民なかなかに言うことを聞かぬから、言うこと聞かねば聞くようにして聞かす。
神には何もかも出来ているが臣民まだ目覚めぬか、金の要らぬ楽の世になるのぞ。
早く神を祀りてくれよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。
表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。
神をダシにして、今の上の人がいるから、神の力が出ないのぞ。
お上に大神を祀りて、政治(まつりごと)をせねば治まらん。
この神を祀るのは見晴らし台ぞ、富士見晴らし台ぞ、早く祀りて御告げを世に広めてくれよ。
早く知らせねば日本が潰つぶれた様なことになるから、早く祀りて神の申す様にしてくれ、神急せけるよ。
上ばかり良くてもならぬ、下ばかり良くてもならぬ、上下揃うた善き世が神の世ぞ。
ドイツもイタリーもあてにはならぬ、世界中一つになって日本の国に攻め寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方で良いと思うているのか、分からねば神に訊ねて政治(まつりごと)せねばならぬと言うことがまだ分からぬか。
神と人とがまつり合わせてこの世の事をさせてあるのぞ。
人が聞かねば神ばかりで始めるぞ。
神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀想なから、臣民みなやり直さねばならぬから、気を付けているのに何しているのざ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祀り第一、神祀り結構。
扶桑(ふそう)の木ノ花咲耶姫様を祀りてくれよ。
コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ。
六月の十三の日しるす、ひつきのか三。
「日月神示」第一巻 上つ巻 第四帖(四)の感想
全知全能の根源の神様は、この現実界をお創りになられる時に、あえて神様方をも”不自由”になるようなルール設定をしたと感じます。
あまねく神様方ですら、この現実界においては好き勝手出来ないのです。
ある程度は現実界のルールに沿って、御力を振るう必要があるようです。
はじまりの根源の神様の願いは、「”不完全なものの成長”こそが真の愛情であり、それを観たかった」、「完全な愛情の海であるご自身が、投影される世が観たかった」のではないかと感じます。
その御力の元となるのが、「人間が神様を信じ、感謝をする」という、感謝のエネルギーだと感じます。
これが歓喜の渦を形成し、宇宙が弥栄えていくことになります。
そのため、神様に感謝が出来る人が一人増えるだけでも、神様側にとっては重要なことのようです。
僕が「たまむすび」を始めた動機は、人生論を通して「人生への感謝心を取り戻して欲しい」というものでしたが、霊的なことを書き始めてからは、「神様への感謝が出来る人が一人でも増えて欲しい」という根源的な動機も加えられました。
世の元の国であり、神の国である日本が、神様というワードが出ると”怪しい宗教”という悪いイメージが先行してしまうのは、神様にとってどれだけ寂しい思いをされているかと考えると、涙が出るほどです。
海外の方が、形や倫理観はどうであれ、「神様を信じる」という点においては純粋だと思います。
植物栽培が好きな方は、ひつくの神様が「扶桑(ふそう)の木ノ花咲耶姫様を祀りてくれよ。」と仰っていますので、「ブッソウゲ(仏桑花)」を育ててみるのも良いかも知れませんね。
中国で扶桑は「日本」を意味するようで、「日本を祀る」ということになるでしょうか。
僕も、来年春頃から育ててみたいと思います😆
何をおいても、”神祀り、ご先祖様供養第一”ということを意識いただければ幸いです。
そして、毎日国の、世界の安寧を祈られている、天子様(天皇陛下)へ毎日感謝をすることも、とても大切なのでご参考ください。
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
明日も善い一日となりますように😊