陰陽
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
 
お釈迦さまが予言した”人間の性(サガ)に支配された末期の人々”の登場は決して悪いことでは無いと考えています。
 
それは自然の摂理であり、人類が次のステージに行くために必要な過渡期だと感じます。
 
 
これがどういう人々かと言うと、一括りで言えば「モラルが崩壊した人々」です。
 
 
こうした人々は、支配階級層から末端までさまざま存在します。
 
 
そして、僕は必ずしもこうした人々が憎むべき対象だとは全く思っていないのです。
 
 
凶悪犯罪者などはもちろん歓迎されるものではありませんが、そうした近視眼的な捉え方ではなく、種の進化という巨視的な視点で観た時に憎む必要がある人々ではない、ということです。
 
 
こうした人々の大量出現は、この現実界により善い進化を促すための、ひとつの過渡期に過ぎないだろうと感じています。
 
 
人類のモラルの死は、新しいより善い人類の生の始まりをもたらすスイッチのようなものだと考えます。
 
 
だから、スサノオの大祓というスイッチが入り、モラルが進化した人々により運営される2039年からの弥勒の世に向けて、着実に時代の移行が始まっています。
 
 
例えば、人は必ず老いて死に至りますが、それは霊界での新しい人生と、次の転生を生む過渡期にすぎません。
 
 
万物もいつかは必ず劣化して消滅し、別のものに新たに再生して循環を永遠に繰り返します。
 
 
これは、万物のエネルギーの総量は必ず一定に保たれるという、エントロピーの法則(質量保存の法則)で説明されます。
 
 
つまり、人間を含む万物は、陰(死)と陽(生)を絶え間なく繰り返して、より善いものへ進化を繰り返していく優性の法則の性質があると考えられます。
 
 
こう考えると、現代人のモラルの崩壊(死)は、これまでの古い人類の死を意味し、弥勒の世に生き残るより進化したモラルを持つ人類の誕生の布石なのです。
 
 
変な言い方になりますが、モラルが崩壊している褒められない人々もまた、人類にとって重要な存在になっていると言えます。
 
 
日月の神様(国常立太神様)も仰ってますが、「悪を憎むのは間違いであり、悪の存在も重要であると認識して、その上で悪を参らせる」という意識を持つ事が、この世の真理に叶っているのだろうと感じます。
 
 
何が言いたいのかというと、あらゆる”悪”にいちいち感情を荒げて糾弾するよりも、静観しながら被害を受けないように立ち回ることに徹した方が、人生の道を誤ることが無くなるということでしょうか。
 
 
この世は、たとえ悪であっても全ての存在に意味があるのだから、善良なあなたの存在には特に大きな意味があるということです。
 
 
あくまでひとつの人生観として、参考までに留めておいて頂ければと思います。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日になりますように😆

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