親孝行
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
5月14日は「母の日」ですが、両親への親孝行は出来ていますか?
 
 
今日はGWの帰郷で福岡の実家に行ってきましたが、両親の近況を聞いて「親孝行の期限」について考えさせられましたので、その事について書いてみたいと思います。
 
 
父親は70歳ですが、65歳で定年退職してすぐに、近場にあった株式会社ルミカに再雇用されました。
 
 
コンサートによく行く人は知っているかも知れませんが、ルミカライトや夜釣り用ケミホタルを作っている会社ですね。
 
 
変わり者の社長に気に入られて拾われ、新製品開発チームで日々モノづくりをして楽しんでいるようです。
 
 
それは大いに嬉しい話なのですが、母親が最近「私は先に死ぬから」とことあるごとに言うことを父親はとても気に病んでいました。
 
 
というのも、母親は10年くらい前から糖尿病で、さらに5年前くらいから間質性肺炎になってしまい、先が長くないと考えているようなのです。
 
 
80歳で亡くなった祖父が、間質性肺炎になって2週間で急性増悪により急逝してしまったため、それを観ていた母親は「いつ自分も死んでもおかしくない」と、重ねてしまっているようでした。
 
 
ここ数年は、幸い糖尿病も間質性肺炎も病状が進行しておらず、母親も元気ですが、死期を気にしている事に父親はやはり辛いようですね。
 
 
そうした話を聞いていて、「親孝行を出来るのもあと数年、、あるいは最悪数か月なのかもしれないな」と感じました。
 
 
最近親孝行できていないなぁ、と思ったら、「親孝行の期限」について考えてみてくださいね。
 
 
正直言うと、僕は20代まで父親のことが大っ嫌いでした笑
 
 
父親は昔から仕事の虫で、小さい頃から朝6時出勤の22、23時帰宅は当たり前だったので、子供にとってはほとんど居ないも同然だったのです。
 
 
父親は温和で大人しい人ですが、昭和の男ですからやはり多少は亭主関白気質があります。
 
 
父親のことを嫌いになった直接的な原因は、精神的に最も追い詰められていた中学時代に、心の病について理解を示してくれなかったことでしょう。
 
 
父親は不器用なので、子供の心の悩みにどう対応したらよいか分からず突き放していたのかも知れませんが、子供にとっては憎悪心を抱くには十分な理由です。
 
 
それが尾を引いて、20代終わり頃までは父親と会えば自然と腹立たしい気持ちが湧き上がり、冷たい対応をしていました。
 
 
父親の苦労を心から理解できたのは、娘が生まれて間もなくしてからです。
 
 
「親の心子知らず」とはよく言いますが、自分が親になってみて初めて、両親の気持ちがよく分かるようになるものですね。
 
 
それから少しずつ、父親を認め始めたわけですが、神様の探究を始めてからすぐに、父親の本当の凄さに気づいたのです。
 
 
父親は、どこにでもよくいる普通の”昭和のサラリーマン”ですので、世間的には”凄い人”という印象は無いでしょう。
 
 
世間的な”凄い人”というイメージは、やはり”社会に大きな影響を与える人”ですね。
 
 
前述の、ルミカライトを発明した社長などは確かに世間的にも”凄い人”で間違いありません。
 
 
ならば、ごく普通のサラリーマンは凄くないのか?というと、まったくそうではありませんね。
 
 
定年まで、家族のために毎日必死に働けるだけでも、とてつもなく凄く、尊いことなのです。
 
 
父親を顧みると、酒・ギャンブル・女には目もくれず、会社で才能溢れる後輩に幾人も追い抜かれながらも地道に頑張り、家で母親から激しく文句を言われても対抗せず、いつも母親に「愛してるよ」と言える人なのです。
 
 
母親は短気なので、怒りが頂点に達すると「離婚」の話も飛び出すのですが、父親はそれに対して文句を言わず、逆に「愛してるよ」と母親の機嫌が良い時に返すのです。
 
 
そして、僕に対しても放任していたわけでは無く、明らかに距離を取っている僕に対しても、ことあるごとに肯定する言葉を掛けてくれていたことを思い出しました。
 
 
その父親の心の強さ、優しさに初めて気づいた時、号泣してしまいました。
 
 
僕はどれだけ愚か者だったのかと。
 
 
なので、今は誰よりも尊敬する人が父親になっています。
 
 
20代からずっと経済的に不安定だったので、両親には迷惑をかけ通しで来てしまったため、今までの分を取り返すつもりで両親を大切にし、親孝行をしていきたいと思っています。
 
 
江戸時代の儒学者である佐藤一齋の言葉に、”孝”について「親の身は我が身」という言葉があります。
 
【親の身は我が身】
すべからく知るべし。親在(おやいま)すとき、親の身即ち吾が身なり。親没せしのち、吾が身即ち親の身なることを。即ちおのずから自ら愛する、の心を以て親を愛し、親を敬する心を以て自ら敬せざるを得ず。  佐藤一齋『言志耋録』より
 
【訳文】
親が生存しているときは、親の身が自分の身であり、親がなくなったのちは、自分の身が親の身であることを知らなければならない。つまり、自分自らを愛する心で親を愛し、親を敬う心で自身自らを敬わなければならないのである。
 
これはとても真理を突いた言葉だと感じます。
 
 
自分を生んでくれたのは両親なのですから、細胞を分けた一心同体でもあり、親を大切にすることは自分を大切にすることと同義なのです。
 
 
つまり、親が死んだ後に霊体となって見守ってくれるわけですから、親に恥じない生き方をすることがとても重要になります。
 
 
「見られていないからいいや」は、親が存命の時しか通用しないのです笑
 
 
親が健在であっても、親がいつも霊体として見守っていると思って、自分に誇りを持てる生き方をしていきたいものですね。
 
 
もし、親が完全な毒親で、「親孝行するに値しない」という場合は、それでも遠くからでもいいから「生んでくれた事に感謝をする」と、あなたの魂はとても高い善徳を積むことになるでしょう。
 
 
神通力により病を一瞬で治すことで「九州の親神さん」、「長洲の神様」と呼ばれた松下松蔵さんも、毒親であっても親孝行する心を大切にしたため、神通力を開眼するに至ったそうですよ。
 
 
親孝行をする、というのは、考えている以上にとても神秘的で、凄い事なのかもしれませんね。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😄

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