20230403
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
 
 
タカミチです。
 
 
人生を歩んでいく中で、不安を掻き立てるもののひとつに”分からない”という状態があります。
 
 
いえ、ほとんどの場合の不安の中に含まれているものだと言っても差し支えないのかも知れません。
 
 
人によって個人差はあると思いますが、概ね思春期あたりから「自分が無知であること」に不安を抱き始めると感じます。
 
 
では、無知であると安心した幸せはやってこないのか?
 
 
今回は、禅語「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る」を取り上げて、このことについて書いてみたいと思います。
 
 

禅語「霧の中を行けば覚えざるに衣湿る」とは?

 
この禅語は、鎌倉時代初期の禅僧で曹洞宗の開祖である道元の言葉です。
 
 
「濃い霧の中を歩んでいけば、いつの間にか衣は湿っているものだ」という言葉の真意は
 
 
「人は置かれた環境によって、いつの間にか影響を受けて人格が形成されていく」
 
 
という意味になります。
 
 
一番はじめに置かれる霧の中は、生まれてすぐに孤児院などに入った場合を除いて家庭環境となりますが、この霧の中で身に着けた性格が基本となります。
 
 
そして、幼稚園や学校、社会と、順番に新たな霧の中に入って影響を受け、人格が形成されて行きます。
 
 
生まれた環境は選択できませんが、中学校くらいから進みたい進路を自分で選択できるようになる人も増えてきます。
 
 
自分で進むべき霧を選択できるようになるわけですが、どの霧を選択するかによって善い影響か、悪い影響を受けるかが決まります。
 
 
そして、人生とはそれ自体が霧の中であり、どの選択肢が善いのか”よく分からないもの”であり、結果論で判断されるものだと言えるでしょう。
 
 
例えば、悪い霧の中で育ったため不良になってしまい、倫理に反する悪事を多くしてきたものの、大人になった時にあるきっかけで改心し、大きな会社を経営する立派な人に成長する、というのは割と良く聞くパターンです。
 
 
つまり、人生とは「人間万事塞翁が馬」によって決まるため、大きく倫理観に背かなければ、どんな霧の中もプラスに転じる可能性を秘めているということになります。
 

自分の歩んできた霧が悪霧であっても大丈夫

人生はいつになっても”分からないことだらけ”だと感じます。
 
 
それなりに大変な霧の中を歩んできたつもりで、そこそこ知恵がついたつもりになっても、そこから先にさらに”よく分からない霧”が広がっています。
 
 
まさに人生は五里霧中です。
 
 
そう考えると、冒頭で書いた「無知だから、分からないから不安になる」ということは、とてもナンセンスなことのように感じます。
 
 
段階ごとに観察すると、その時点での無知は必ず存在しますので、無知に囚われて悩むこと自体が勿体無いように感じるのです。
 
 
「自分は無能だから駄目な奴だ。。」
 
 
と、悩む人は少なくありませんが、”無能だから不幸になる”と考えてしまう方程式を見直す必要があるでしょう。
 
 
無能だと感じてしまう今の自分を、少し先の未来では「あの頃があったから、今幸せになれている」と感じているかも知れません。
 
 
そして、このケースもやはり少なくないように感じます。
 
 
「無知だから駄目だ」、「分からないから不安だ」、と感じてしまうのなら、その”不安の霧”から抜け出すための方法とは
 
 
今の自分でも感じることが出来る幸せとは何なのか?
 
 
ということを、徹底的に紙に書き出してみましょう😄
 
 
そして、今の納得がいかない自分であっても、”認められる部分”をしっかりと見つめてみてください。
 
 
今回の記事画像のように、、
 
 
「過去の自分を認め、今の自分を一生懸命生きることが、未来の安心した自分を創ります」
 
 
少しでも、感じ入るところがあれば嬉しいです😌
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
 
明日も善い一日となりますように😄

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