煩悩と我執
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
1990年代にインターネットが普及し始め、今では90歳のお年寄りもAmazonを利用するような時代になりましたね。
 
 
僕は在宅のAmazonコールセンターで働いていますが、たまにスーパーおじいちゃん、おばあちゃんに出くわします笑
 
 
ネットの登場は科学の発展を急速に早めましたが、同時に人類の倫理観も同様のスピードで荒廃してきました。
 
 
特に、娯楽の多様性と飽食の時代を招き、多くの人が煩悩に翻弄される時代になったことは間違いありません。
 
 
ネットの登場により利益主義が加速し、心が軽視されるストレス社会が構築され、悩みの多い時代、生きづらい時代になったことは、必然の結果だと感じます。
 
 
「あらゆる煩悩を捨てる」、「我執を捨てる」という仏教の教えがありますが、ネットの登場により、これに完全に逆行する形で進化したのが現代です。
 
 
ネットの恩恵も大いに享受していますので一長一短ありますが、人の悩みを生み出すものはこの”煩悩”と”我執”に他なりません。
 
 
ストレス社会が悩みを生み、その解消のために”煩悩”と”我執”が強まり、さらに新たなストレスを生む悪循環の社会だと感じます。
 
 
今ほど究極的ではないにしても昔も構造は同じですが、約2600年前にお釈迦さまが悩める民衆のためにこれらから離れる方法を説いて回り、仏教として後世まで伝えられてきました。
 
 
仏教では、”煩悩”と”我執”を完全に消すことは出来ないと教えます。
 
 
これらをある程度コントロールする術を身に着けることで、心が翻弄されずにいつも安心して過ごせるようになるのです。
 
 
なぜなら、心の不安を生み出すのは、”煩悩”と”我執”から発生する劣等感やうしろめたさ、怒り、悲しみなど負の感情であることが多いからです。
 
 
仏教に限らず、あらゆる分野でセルフコントロールの方法が紹介されていますね。
 
 
人間の欲求で最も強いのが「睡眠欲」「食欲」「性欲」の三大欲求ですが、人によって持っている性(サガ)が違いますので、どの欲求が強いかは異なるでしょう。
 
 
三大欲求をコントロールしていくのは至難の業ですし、長期的な努力が必要になります。
 
 
そこで役に立つ考え方が、「少欲知足(しょうよくちそく)」という仏教の教えです。
 
 
その漢字の読みの通り、「欲を小さくし、足るを知る」ということですが、人の欲望には際限が無いのですから、その時々でボーダーラインを設けて自制することは非常に重要になります。
 
 
その時点で感じる、自分の精神力の強さに応じて、自制レベルを設定し、欲求が拡大していくことを抑止します。
 
 
ポイントは、一度設定した自制レベルは出来る限り段階を下げず、そこに慣れるように毎日意識するように努力することです。
 
 
この自制レベルは”不可逆的なもの”として、基本的には後戻りはしないことを前提にして設定します。
 
 
これを僕は「ラチェット思考」と呼んでいますが、これはラチェット構造からヒントを得たもので、動作方向を一方向に制限するもので、後戻りが出来ない機構のことを指します。
 
 
つまり、一度設定した自制レベルを、ラチェット思考を維持することにより不可逆であると認識し、精神レベルを段階的に引き上げていく事が出来ます。
 
 
まぁ人間ですから、そうは言っても逆戻りしてしまうこともありますけどね笑
 
 
肩の力を抜いて、少しずつ進んで行きましょう。
 
 
このラチェット思考については、また改めて詳しくご紹介してみたいと思います。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😄

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