
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
タカミチです。
人は産まれて物心ついた頃から死ぬまで、自分の判断で生きることを試されます。
両親や親族、友人知人、恩師など、他人の判断の助けになる場面も多々ありますが、最終的に人生を創って行く判断を下すのは自分しかありません。
人生で難しいことのひとつに、「自分と他人の関係の距離感」がありますね。
この距離感を適切に管理できる人ほど、自分の人生を自由に、豊かに創って行くことが出来ます。
この距離感を上手く教えてくれるのが、お釈迦さまの教えた言葉ですが、今回は原始仏典『スッタニパータ 第一章第三節 犀(さい)の角』から、現代での人付き合いを良くする方法について考えてみたいと思います。
各項は「犀の角のようにただ独り歩め。」と締められていますが、太い一本角を持つインドサイは群れをなさずに単独で行動するため、その様子から「サイの気高い一本角のように、ただ独りで自分の道を歩む心を持ちなさい」という意味で解釈されています。
スッタニパータ 第一章第三節 犀(さい)の角 35番
「あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。」
解釈:すべての生き物へ対して、暴力を振るったり、迷惑をかけることを止めなさい。たとえ我が子であっても我欲によって執着してはならないのだから、ましてや友達を作ろうと執着することもやめなさい。サイの気高い一本角のように、ただ独りで自分の道を歩む心を持ちなさい。
「友達を作ることに躍起になってはダメだ!」と教えているので、これは人によっては「寂しい、つまらない人生になる教えだ」と感じてしまう人もいるでしょう。
その一方で、交友関係に恵まれない人にとっては救いの言葉に感じるかも知れません。
お釈迦さまは、友達を作らず独りで生きることを是とするような、つまらない人生をおススメしているわけではありません。
「孤独に怯えて生きることをやめて、まずは自己をしっかり見つめて独りで歩けるようになりなさい。その上で、本当の友を見つけなさい」
と、教えていると感じます。
つまり、、
「妻や我が子含めて、他人に一切執着せず、独立した心で正しく接することが出来るようになりなさい」
という教えですね!
お釈迦さまが誕生されてすぐに発した「天上天下唯我独尊」の意味
「すべての人間は、この天地(全宇宙)の間に、ただ独りとして在るがままに尊い存在である」
を含んでいる教えですが、お釈迦さまは生涯を通して「天上天下唯我独尊」という真理を伝えるために生まれた方だということから、”生まれてすぐに語られた言葉”として原始仏典に表現されるようになったようです。
決して「私こそが至高の存在!」とドヤ顔で宣言されたわけではありません笑
スッタニパータ 第一章第三節 犀(さい)の角 40番
「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」
解釈:いつも仲間に囲まれていると、休むにも、立つにも、どこかへ行くにも、旅をするのにも、いつも声を掛けられ、気にされる不自由さが付きまとう。他人を気にせずに自分の人生を生きるためにも、サイの気高い一本角のように、ただ独りで自分の道を歩む心を持ちなさい。
「いや、俺は大勢の友達に囲まれていたいし、いちいち反応されることにも慣れてっから!」
という方はそれで良いと思います笑
仲間に囲まれた楽しい人生も、その人が人生で勝ち得た得難い幸せに変わりはありません。
お釈迦さまが伝えたいのは、「人間は自由で孤独であるべき!」という短絡的な話ではなく
長い人生を揺るぎない安心の中で生きるためには
「たとえ独りでも生きることが出来る精神性を身につけなさい」
ということに尽きると感じます。
人はいつ”独り”になるか分かりません。
今日、大地震が起きて自分以外の家族や、親しい仲間全員が亡くなるとも限りません。
2011年3月11日に発生した「東日本大震災」を知る日本人なら、なおさらこの事はリアルに分かると思います。
こうした災害に直面した時、仲間など他人に依存・執着しないと生きられないような精神性ならどうなるでしょうか?
突然、絶望の淵に立たされて生きる気力を失ってしまい、最悪の手段に及んでしまうかも知れません。
お釈迦さまの教えは「場所限定のお話」ではありません。
あらゆる場所、あらゆる時でも、独りでも心を強く持ち、安定して生きるための教えなのです。
この精神性を身に着けるためには、独りの時間を大切にし、長い時間をかけて自己の探究を深めていく必要があります。
なので、お釈迦さまは「いつも仲間に囲まれていると、自己の探究を深める時間が無くなりますよ!」と教えているわけですね!
これは、「人生とは友達を作らなければならない」という、現代社会の根底に流れる”幸せの暗黙ルール”を否定する教えでもあります。
極論すれば、生まれてから死ぬまで友達を作らなくても、精神性さえしっかりしていれば、幸せに生きることができます。
「友達がいない=不幸」という、誤った価値観を見直すきっかけにもなる教えだと感じます。
そして皮肉な話ですが、「友達が居なくても大丈夫」と強い精神性を持っている人ほど、人に好かれやすくなりますので、結果的に人が集まってきて自然と友達が出来てしまうものです。
なので、あなたがもし友達が居なくて悩んでいるなら、まずは「独りで生きることが最も大事!」だというお釈迦さまの教えを前提にして、自己を見つめて精神性を磨くことをおススメいたします!
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
明日も善い一日でありますように😄
なんだか、じわっとくる感じのお話が続いていて、何度も読み返しています。
人間は1人じゃ生きてはいけないけれど、簡単に言えば「すべては自分」なんでしょうね。
人間関係においても、相手あってこその自分だとは思います。けれど宇宙の星たちが互いに照らし照らされる時にはそれぞれがきちんと確立されているからこそ、その関係性が成り立っているんですよね…。
何があっても自分。
ぶれない強さも必要かもしれませんが、強風に枝葉を持っていかれても倒れない柳の様なしなやかさを持ちたいです。
自己中や自意識過剰にならない、凛とした自分…まだまだです。
ふっこさん
コメントいただきありがとうございます!
読み返していただくととても励みになります😄
宇宙の星々もすべてが無駄のない存在なのでしょうね。
照らし合って美しい星空が作られていると考えると、この人間世界も雑多な人々がいるから美しいのかも知れません。
太くて頑丈な大木よりも、風に身を任せそよいでいる柳の方が、社会で生きる上では良いのでしょう。
頭を垂れて平身低頭、、謙虚に生きる、ですね。
この前、崇敬神社の大好きだった樹齢数百年の老木が倒木していて、ちょっと切ない気分になりました😅
最近、諸行無常を心から受け入れられると、心が本当に解放されるのかなぁ、と感じています。