第4回現在・過去・未来との接し方で幸せが決まる。重要なのは…【禅語:莫妄想】

こんにちは、タカミチです。

2022年3月16日に、宮城県や福島県で震度6強を観測する地震が起きましたね。

みなさん大丈夫でしたでしょうか?

18日にも岩手県沖で震度5強を観測する地震が起きましたが、「東日本大震災」の時も2日前にマグニチュード7.3の地震が起きていますので、23日くらいまでは本震を警戒した方が良いと思います。

亡くなられた方々のご冥福を、心より深くお祈り申し上げます。

さて、今日からブログの方向性をシンプルにして、再出発となります。

先ほど娘のピアノ教室に送りに行き、待っている間の1時間を使ってスーパーでの買い物と、毎週土曜日恒例の、崇敬神社参りをしてきました。

その時にふと頭に浮かんだ、「人は自分の妄想に人生を支配されている」という事について、書いていきたいと思います。

人はそれぞれ特有の妄想を抱えて生きているもの

禅語に「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉があります。

「妄想してはダメだよ」という事ですが、私たちは日々、様々なことを妄想して生きていますよね。

  • 「友達とうまく行かなかったらどうしよう。。」
  • 「仕事でミスを連発したらクビになるかな」
  • 「さっきの事で、あの人は今も怒っているに違いない」
  • 「引きこもりの自分なんて、社会に必要とされるわけが無い」
  • 「心と体が一致しない自分は、人から気持ち悪がられるハズ」

などなど、挙げるとキリがありませんが、人はそれぞれ生きてきた環境に応じて、特有の妄想があるものです。

でも、「妄想はダメ!」って言われても、それをいきなり止めることは難しいと感じますよね。

そもそも、なぜ妄想はダメなのでしょうか?

まずは、ここから触れてみたいと思います。

妄想が自分の心を縛り、苦しめ、新たな災難を呼び込んでいる

禅で「妄想はダメ!」と言う理由、それは「現実には起きていない事」だからですね。

「妄想に憑りつかれる」と言いますが、こうした「起きていない現実に、心が縛られて身動きが取れなくなる状態」に陥ることは、自ら傷口を広げる行為に等しいと感じます。

例えば、友達に何気なく言ってしまった一言が、別れてから酷く気になって、夜も眠れなくなるくらい妄想に憑りつかれたとします。

  • 「次合う時にもしかして怒っているかなぁ」
  • 「いや、もう会ってくれないかも」
  • 「あの言葉がきっかけで、絶縁になってしまったらどうしよう、、」
  • 「今からLINEで謝るべきか」
  • 「でも、既読スルーされたらショックだし、、」
  • 「あぁ、、どうしよう。明日からテストなのに全く手に着かない。。」

こうした事は、誰しも経験があるのではないでしょうか。

でも、友達は本当に“その言葉”を気にして怒っているのでしょうか?

LINEの既読済みになるのが遅かった?

それも、友達はたまたまその時に忙しかったのかもしれません。

と、こんな感じで、私たちは“思い込み”により、現実には起きていない事を「〇〇かもしれない」「〇〇のハズだ!」と妄想の世界で創り出し、一喜一憂しがちですね。

でも実際には、友達は“その言葉”自体を覚えていなかったり、例えその時にちょっとムッと来ても、全く引きずっていなかった何てことは往々にしてあるわけです。

それなのに、無駄な妄想を膨らませた結果、次友達と合う時に緊張してよそよそしかったり、ギスギスしてしまい

それが原因で、妄想が無ければ起こりえなかった、新たな溝が生まれる事もあります。

妄想が新たな災難を呼び込んでしまったわけですね。

つまり、妄想が意味の無い悪い事だと認識し、“今この瞬間に起きる事だけが全て”だということを

体感的に分かっていれば、人生には「妄想から生まれる不幸は起こりえない」という事になります。

妄想を止める、、って、出来るの?

とは言ってもですね、“妄想を止める”という事は至難の業であることは間違いありません。

だって、禅では「悟りたいなら妄想を止めてね」って言っているわけですから

妄想をピタリと止められる人は、もはや悟ったと言っても過言ではないと思います。

この“悟りとは何ぞや?”という事については、後日改めてじっくり書いてみたいと思います。

禅とは、「“今”を生きる為の心の在り方を教えてくれるもの」と言えますが

その中でも「即今目前(そっこんもくぜん)」という禅語があります。

この禅語は中国の唐代の禅僧である臨済義玄禅師の言葉で

「今、目の前にあるものだけを見て、考える」という意味になります。

禅がなぜこれほどまでに“今”にこだわるのか

それは「“今”を精一杯、努力して生きられれば、人生に間違いは無い」からです。

人生は“今”考えている事、“今”行動している事がすべてです。

“今”の自分の在り方が、未来の自分の在り方を創っています。

なので、ここに妄想を挟み込むという行為は

「自分で自分の人生の邪魔をしている」という行為に等しい事になります。

一方で、「“過去”と“未来”について考える事も大切じゃないか」という議論が浮上するものです。

これもその通りであり、非常に重要な事ですが

“過去”と“未来”についてどう考えるべきなのかを、次の項で説明していきたいと思います。

“過去”は教訓であり、“未来”は想定であるべき

過去について「あの時は良かったなぁ」と、いつまでも過去の栄光にしがみ付いて現実逃避をしたり

未来について「勉強も運動も出来ないから絶望しかない」と悲観することは

妄想に憑りつかれている状態ですね。

過去に良い時代があっても、それで今が良くなるわけではありませんし

勉強も運動も出来ないからと言って、未来が絶望的な生き方しか出来ないという事はありません。

一方で、、

過去について「あの時〇〇で失敗したから、今はこうすれば成功する」と過去の出来事を教訓にしたり

未来について「大地震が来るかも知れないから備えておこう」と想定するのは

“今”を上手く生きるために“過去”と“未来”を活用している、という事になります。

まさに、“過去”は教訓であり、“未来”は想定であるべきなのです。

ここで気を付けたいのは、過去を教訓にしようと思考し始めた時に

「あの時〇〇で失敗したから、、あぁ、でも今回も失敗したら恥ずかしいし、嫌われるかも、、」

と、まだ起きてもいない、悪い妄想に発展させてしまったり

未来について前向きに想定しようとして

「大地震が来たら備えていても家が潰れたら意味が無い、、やっぱり死んでしまうかも」

などと、過剰に心配するあまり、起きえない妄想を膨らますことは避けなければいけません。

ただ、“未来”については「前向きに最悪を想定しておく」ことは悪い事ではありません。

上の例なら「大地震が来たら、この地域では津波で死ぬ可能性が高い。ならば、内陸部の海抜の高い地域に引っ越そう」など

論理に基づいた最悪の想定は、人生を守る上でとても大切になります。

最悪の想定をしても、不幸とは起きる時は起きます。

しかし、その事を“今”過度に心配せずに、起きた時に初めて考えれば良いのです。

まとめ:妄想を止める良い方法は“今”に集中し“感謝”すること

何度も繰り返しますが、妄想を完全に止めるという事は、とても難しい事です。

なので、心の蛇口を完全に締めず、少し開け放しておいて、リラックスして妄想に向き合えば良いと思います。

何事も、継続した期間に比例して身に付くものですから、いつも頭の片隅に置いておくだけでも

1年後、3年後、10年後には、ほとんど悪い妄想をしなくなっているかも知れません。

また、悪い妄想が起こる事を予防する良い方法は

「“今”この瞬間を精一杯生きる事に集中する」

「人や社会に感謝の気持ちを常に忘れない」

この気持ちを強く持っておくことで、負の感情は起こりづらくなっていきます。

“感謝をすることの重要性”についても、いずれじっくり書いてみたいと思います。

みなさんの心に、常に太陽が在ることを祈りつつ。。

お読みいただき、ありがとうございます。

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