戦略的撤退
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
人生には不安がつきものですが、夜も眠れなくなるほどの不安に襲われている時は、本当に辛いものですね。
 
 
一般成人の30~40%が何かしらの不眠症を抱えていて国民病とも言われますが、不眠症を引き起こす大きな原因のひとつである”不安”を解消するための考え方について書いてみたいと思います。
 
 
不安が引き起こされる理由として、最も影響力が大きいと考えられるのは、”依存と執着”だと感じます。
 
 
  • スマホ(SNS、サイト等)やゲーム、その他娯楽に依存・執着する
  • 食べ物やアルコールに依存・執着する
  • 異性(同性含む)に依存・執着する
  • 家族に依存・執着する(引きこもりや仕送りなど)
  • 学校や会社に依存・執着する(辞めたら終わり、など)
  • 他人の言動に依存・執着する
 
 
これら対象への依存・執着は、「分かってはいるけど、やってしまう」と、良くない事だと感じながらも流されてしまっている事も多いでしょう。
 
 
この悪い流れを断ち切るためには、大きなエネルギーが必要になりますので、何かきっかけを掴めないとなかなか重い腰が上がらないものですね。
 
 
これらの対象に共通することとして、「他人からの評価が気になるから不安になる」という点が挙げられます。
 
 
ということは、逆説的な観方をすれば、「他人の目(評価)があるからこそ、道を踏み外さずに済んでいる」ということが言えます。
 
 
”不安になる”という現象そのものは不快かも知れませんが、それ自体は「完全に堕落した人間に成らないための抑止力」であり、心が発する警告だと言えるかも知れません。
 
 
人間は楽な方向に流される生き物ですから、すべての不安が一切なくなってしまったら、好きなコトだけをダラダラとするようになり、努力をすること自体がバカバカしくなるでしょう。
 
 
不安に感じることを、不安では無くしていくことこそが、人生を豊かにしていくために必要な、考え方・意識の転換だと感じます。
 
 
まず大前提として、「不安になることは、ありがたいことだ」と、嘘でもいいので思い込んでしまって、その上で不安を解消する手立てを考えれば、気持ちの持ち方としては最善だと感じます。
 
 
この前提に立って、実際に不安を解消する手立てについて考えてみましょう。
 
 

不安とは、戦略的撤退を視野に入れて背水の陣で戦うのが最上策

 
 
不安に駆られた時、人によって反応は「逃げたい」と感じるのか、「戦ってやる!」と意気込むのか、異なると思います。
 
 
後者の考え方をする人は、おおむね自己解決が出来ると思いますが、大半の人が前者のように「不安から一刻も早く逃れたい!」と思うのではないでしょうか。
 
 
「不安に駆られる」は、「不安に狩られる」とも言い換えられると感じますが、狩られてしまったら戦況は圧倒的に不利になるのが、不安という精神状態です。
 
 
不安に追い立てられながら、逃げながらの撤退戦は、実際の戦と同じ様に多くの被害を出すものです。不要な心の傷をたくさん負うことになります。
 
 
どこかで踏ん張って、四股を踏む気持ちで大地に足をつけ、「来るなら来い!」と居直る背水の陣的な気持ちが重要になります。
 
 
その上でとりあえず戦ってみて、「あぁ、これはどうしようもならないな・・・」と心の剣が折れてしまった時に、初めて”戦略的撤退”をすればよいと感じます。(背水の陣は退路を断つ戦い方ですけど、逃げる時は無様に泳いででも逃げましょう。命、大切です)
 
 
学校であれば、期間を決めて引きこもってみるのも一つの選択だと感じます。
 
 
両親は心配して色々と言うかも知れませんが、「挽回のチャンスが来るまで説得を続けよう」と、前向きに向き合ってしまった方が負い目も少なく済みます。
 
 
現状で考えられる、前向きなビジョンを両親に真剣に話せば、理解が得られる場合が多いと感じます。
 
 
社会人であれば生活は大事ですので、次の職場への足掛かりを付けてから、”恥も外聞も捨てて、潔く”辞めることです。
 
 
心をナイフで切りつけられるような過酷な職場に、意地を張って居続ける必要はまったく無いと感じますし、それは依存・執着してしまっている可能性が高いでしょう。
 
 
一時的には敗北と感じるかも知れませんが、そうした決断を下せるということは、社会的評価への依存から脱することが出来たということですから、強い心がなければ出来ません。ズルズルと居残り続ける場合、潔さが無い心はどんどん弱っていきます。
 
 
世の中には、惨めな敗北を喫しながらも、前向きに次の新天地でコツコツと努力し、例え収入的には落ちたとしても、結果的には幸福になった方のストーリーはたくさんありますので、そうした方々の話を探して読んでみると大いに勇気づけられるでしょう。
 
 
そうした方々は、お金への執着から卒業できたと言えますし、その後経済的に成功した人でも、過去の失敗の教訓から健全なお金との付き合い方が出来る人が多い印象があります。本当に大切なものが何かを知っている人が多いです。
 
 
「失うこと、負けることを恐れず、いつも前向きで居ようとする心」、これがストレス社会で生きる上でとても重要だと感じますし、この心を持っている人は道を誤ることはありません。
 
 
ただ、先天的知的障害や身体的障害、精神疾患などを抱えていて論理的な思考が難しい場合は、こうした考え方は必ずしも出来るわけではありません。
 
 
「社会で上手くいかないのは当たり前であり、それは恥ずべきことではない」という考え方を、少しずつでも出来るようになることが大切になると感じます。
 
 
まずは、目の前のやれることに意識を集中させましょう。
 
 
優性主義、ステータス至上主義の現代社会では、「出来ない人はみっともない」というような見方をしがちですが、こうした見方をする幼稚な考え方こそみっともないという事に気づかなくてはいけません。
 
 
今の社会の風潮は、はっきり言って目を覆いたくなるほど情けなく、悲しく感じます。
 
 
社会に変化を求めても大火にバケツで水をかけるようなものですので、そこに意識を向けるよりは、「出来る範囲のことを頑張れる自分は、例え周りがどう言おうと立派だ」と、自信を持つようにしましょう。
 
 
そうした社会を変えようと頑張っている政治家や活動家を応援してみる、というのも、健全な社会参加のひとつとして、心に一定の自信と安心感を生むかも知れません。
 
 
ちなみに、僕は自民党の青山繫晴さんを10年以上応援してきましたが、去年から青山さんの事務所を通して自民党員になりました笑(自民党が好きというわけではありません。あくまで青山さん個人の応援目的です)
 
 
青山繁晴さんは力のある議員ですが、文字通り日本を守るために命を懸けている清廉潔白な人であり、現代日本に居る数少ないサムライのひとりだと感じています。
 
 
話が逸れてしまいましたが、自分の努力の過程と結果は、収入や他人からの評価とは切り分けて、「やれることをやり切った自分は凄い!」と褒めてあげましょう。
 
 
あ、これはハンデの無い人にも言えることですね笑
 
 
僕もどちらかと言えば、ハンデを背負って来た側の人間ですが、「ハンデって、ハンデではないなぁ」と、今では感じています😌
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

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