自利利他
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
昨日は、祖母の一周忌のお墓参りに行ってきましたが、皆様はいかがでしょうか?
 
 
東京や一部地域などは旧暦にならって7月盆のようですが、今年は8月盆に集まることが出来ないため本日の運びとなりました。
 
 
「はじめまして」のいとこの子供たちも多く、ここまで集まるのはこれが最初で最後かな、と思いましたが、お坊さんの説法が面白かったのでお伝えしたいと思います。
 
 
お酒好きでご自身を”ものぐさ坊主”と表現し、肝臓病で死地から戻ったばかりのお坊さんで、叔母の同級生でもあります。祖父の時から20年以上お世話になってきました。
 
 
緩くて安心感を感じさせる方ですが、お世辞にも話が上手い方ではなく、説法が始まってからグダグダした空気が流れ始めたので、内心「大丈夫かなぁ」と思っていました笑
 
 
しかし、何となく「何か重要なことを話してくれそうな雰囲気」は感じていましたので、子供たちが退屈そうにする中、話に集中して耳を傾けていました。
 
 
お坊さんが駆け出しの若い頃の話で、お母さまから依頼されてペット霊園のお勤めに行った時に、「なんで犬猫のためにお経を上げなければならないんだ。。」と思ったそうです。
 
 
それまで人様のお葬式しかお勤めをしたことが無かったこともあり、違和感を感じられたのでしょう。
 
 
お母さまに、「もう二度とペット霊園のお勤めはしないから、依頼があっても断ってくれよ」と強く伝えたそうです。
 
 
するとお母さまは「なんでそんなことを言うのか?」と諫めたそうですが、お坊さんは「日曜日は遊びに行きたいからだよ!」とうそぶいてしまったとのことです。
 
 
その後、お坊さんは年を重ねるとともに、母親が「犬や猫も人間と同じ命であり、同等の存在である」という考えがあったことに気づき、ご自身の未熟過ぎた考え方にとても悔やまれたそうです。
 
 
その後、ペット霊園からの依頼も喜んで受けるようになったようですが、無下に断った当時のペット霊園への慚愧の念が堪えないと仰っていました。この後悔は、墓まで持って行くと覚悟を語られていました。
 
 
その話から発展させて、「犬や猫は生きるためだけに生きていますから、煩悩がありません」と、お坊さんは諭すように語り始めました。
 
 
そして、「人間はどうでしょうか?グルメのために動物を殺し、己の欲望のために時には人をも殺す。こんな生き物は人間以外にはありません」と、続けました。
 
 
「私たち人間は、そうした罪を背負って生きなければいけませんが、犬や猫に見習って、少しでも他のためになる生き方をしたいものですね」と話したところで、後ろの黒板に書かれた「自利利他」という言葉を指しました。
 
 
「自利利他(じりりた)という言葉を知っていますか?自分の幸せは、他人の幸せでもある。その逆もしかり。つまり、人の幸せを自分の幸せのように感じられるようになりたいものですね」と話してお坊さんは祖母の遺影に向き合い、「故人はそのような方でした」と合掌されて話を締めくくられました。
 
 
祖母は、法名に”和顔”が入るように、いつもニコニコとしたおばあちゃんでした。そして、94歳で地域のグランドゴルフ大会の優勝を飾り、知事と握手している姿で新聞に載るようなスーパーおばあちゃんでもありました笑
 
 
最期の最期まで、周囲に「ありがとう」と言い続けた、感謝に溢れた人でした。そして、それは20年前に亡くなった祖父も同じでした。
 
 
僕のメンタリティには、社会的にも偉大だった両家(父方・母方)祖父母への尊敬と、対照的に”もの凄く普通”の中で「自利利他」を貫徹してきた両家(僕・妻)両親への尊敬が根底にあります。僕はまだまだこの方々に及んでいません。
 
 
自利利他という言葉本来の意味は、「自らの悟りを開くために修行を積み、他人の救済のために尽くす事」ですが、お坊さんの捉え方は素敵だな、と感じました。意味の本質は同じだと感じます。
 
 
このお坊さんのお話は、実は先日の記事「おじさん先生は教訓を教えてくれる観音様だった?」において、「弥勒の世に向けた食の在り方についても、そのうち記事にしたいと思っています。」と書かせていただいた内容にピッタリ重なっていました。
 
 
ちょうどお墓参りの前日にも、愛猫のめいこを撫でながら、「ペットから与えられている幸せは、計り知れないものがあるな」と感じていました。
 
 
「動物の魂が神界から遣わされているのには、もっと深い意味があるのかも知れない」と、猫吸いをしながら考えていました笑
 
 
インドの悟りを目指す高名な修行者も、動物の毛皮の上で精神統一をしていたようですが、動物のもふもふには偉大な力があるのかも知れませんね。
 
 
直前にこうした背景があったため、お坊さんのこの話を聞くことに深い因果関係を感じていました。
 
 
この数日は、動物の偉大さに気づくための期間だったのかも知れません。
 
 
ちなみに、記事画像を熊の親子にしているのは、「”熊(クマ)”は”神(カミ)”の語源」とされているためです。みだりに神聖な山に不浄な人間が入らないようにするために、熊が守っているのかも知れません。
 
 
そして、今日はAIの恐ろしさを感じています笑(せわしないな)
 
 
この話は、また後日と言うことで。。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

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