親鸞聖人から学ぶ、己の未熟を成長に変える方法

画像引用元:https://takimotobukkodo.co.jp/column/親鸞聖人とは?浄土真宗の開祖

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いつもお読みいただき、ありがとうございます。

タカミチです。

心の成長を意識する上で、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の存在は、とても勇気づけられると感じています。

日本で1番多い宗派と言われますが、うちも浄土真宗ですので、なおさら親近感もあります。

親鸞聖人と言えば、自分のことを「愚禿(ぐとく)と呼び、自分が未熟者であることを認めているからこそ、多くの民衆の共感を得て広く教えが広まりました。

親鸞聖人が著した『愚禿鈔(ぐとくしょう)』に、以下の言葉があります。

「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」

これの意味は

内面は、どうしようもない愚かさを抱えているが、だからこそ外面は、それを見せないように、賢く振る舞うように生きていく。

こうした信念を持ち、「愚禿釈親鸞」と名乗りながら、親鸞聖人は己の高潔さを失わないように生きたのです。

愚かさや穢れとは、無縁であるかのように振る舞いながら、一般人とは心の距離を置く偉そうな高僧ではなく、親鸞聖人はどこまでも庶民の心に寄り添ったからこそ、日本で最も教えを定着させた僧侶と成れたのだと感じます。

この親鸞聖人の心の在り方は、我欲が膨張し、唯物思想が極まった現代にこそ、重要なのかもしれません。

心の成長と安定には、自然体であることが最も重要だと感じています。

己の醜い部分から目を背けて、そこに反省の念を向けず、取り繕って生きていく不自然さからは、必ず綻びが生じます。

己の醜い部分を認めて、生涯をかけて克服していく覚悟を持ち、己の心が腑に落ちる状態こそ、自然体であり、大自然と調和していく生き方だと感じます。

親鸞聖人の大自然との調和が、現代まで教えとして残るように、在るがままの自然体こそに不滅の神性が宿ると感じます。

僕も、どこまでいっても、ただのおせっかいおじさんとして生きていきたいと思っています。

禿げるタイプではないので、愚白になれるように頑張ります笑

何か、参考になれば嬉しいです

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。

明日も善い一日になりますように☺️




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