心の余裕を無くす人が増えるからこそ、心の余裕を大切に

スマホからの投稿です。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

タカミチです。

コールセンターの受電業務をしていて、”心の余裕”について感じたことを書きたいと思います。

僕は大手ショッピングモールのカスタマーサポートをしていますが、年末年始は特に配送遅延が発生しやすくなります。

そのため、「今日必要だったのに、何で届かないんだ!?」というクレームも多くなります😅

もちろん、申し訳なく思いますので、出来る限りの対応はしますが、その一方でそうした方々に感じることがあります。

「電話で怒鳴るくらい必要なものなら、何で事前に余裕をもって揃えなかったんだろう」

ということですね。

急に必要になり、近くにショッピングモールがない田舎でやむを得ずネットで、という事情の方も確かにいらっしゃるでしょう。

それでも、「コロナ療養中で買い出しに行けないのに食料がない」など、緊急性を感じる案件の方が、圧倒的に少ないです。

今回言いたいことは

「唯物的な考え方をする人ほど心に余裕が無く、些細なことで怒りやすい」

ということです。

大前提として、唯物思想が極まった社会なので、しょうがないと言えばそれまでです。

逆説的には

「唯物思想から離れるほど、心は安定方向に向かう」

ということが言えます。

ただし、この唯物社会において唯物思想から離れるということは、”損”をする場面が増えます。

もちろん、これは唯物的な損なので、精神的には得をします(徳を得ます)。

例えば、僕の最近の損を例に挙げると、亡くなった愛猫・めいこの保険金が降りましたが、契約では50%保障でしたが、25%以下しか降りませんでした。

まぁ、分かりづらい規約に基づいての金額だろうな、と思い、瞬間的に諦めましたが、傷病名が「食欲不振、鼻出血」になっていて違和感を覚えました。

酸素室まで導入し、亡くなったことを申告した上での申請なので、「これは人によっては怒り狂って電話するだろうなぁ」と苦笑いしました。

「裁判で訴える」と息巻く人も居るでしょう。

でも、唯物思想から離れていれば、こうした損は苦笑いで済ませられます笑

なぜなら、怒りに任せて電話をして、満額請求をすることの労力と、後味悪さ、そして険悪さが家族に伝搬してギスギスさせることの愚かさを、瞬時に想像できるからです。

これは金額の問題ではなく、数十万、数百万の損失であっても、金銭を取り戻す労力と、精神的、人生的ダメージが許容範囲を超えるなら、すっぱり諦めます。

むしろ、因果の観点からすれば、巨額な損失をするほどその分因果の借金が返済できますので、病気や愛する人の死などでの返済ではなくてラッキーとも言えます。

金銭的なことだけではなく、行動にも同じことが言えます。

求められた行動が例え面倒であっても、回避することに少しでも不毛さを感じるなら、諦めてそれを真剣にします。

こうした考え方は、怒りや、不満心が湧き起こらないように、徹底しているわけですね。

それほど、怒りや不満心は、心に魔が刺すのを助長させますので危険です。

幸せや、安定から遠ざかることになります。

心の余裕、平穏は、日頃から徹底して怒りや不満心に囚われないようにすることで、自ずとそうなるということですね。

怒りや不満心を呼び起こす対象に執着せずに、すっぱり諦めることが最善です。

その上で、やれる努力はすること。

努力の放棄もまた、魔が刺す機会を与えます。

ただ、あまりに理不尽な損害に対しては、善処することも必要ですが、それでも怒りは忘れて、冷静になって淡々と対処する必要があります。

そう考えると、唯物的な損をすることも、少しは許容しやすくなりませんか?

少しでも、何か参考になれば嬉しいです😄

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。

明日も善い一日になりますように😽




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