人と話せない
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
これまで数多くの相談に当たってきて、「人と話すのが苦手」という方は多いという印象があります。だから悩みを人一倍抱え込みやすいとも言えますが、日本人は特に性格の下地が謙虚ですから、自己主張を出来る方は少ない傾向にあります。
 
 
「人と話すのが苦手」、「自分の意思を人に伝えられない」と聞くと、ほとんどの人がマイナスイメージを抱くでしょう。その一方で、僕は最近、この日本人に多く見られるこの特性は、”神様の恩寵”なのではないか、と感じています。
 
 
なぜなら、話すことが苦手であれば必然的に人との会話は減りますので、その分自己の内面に意識が向かいやすくなるからです。人生を本質的に考えると、最も重要なのは”自己の内面を観ること”だと感じます。
 
 
「話すのが上手な人」は、輝いて観えますし、人に好感を持たれ人気者になりやすいですし、出世しやすいことから経済面でも豊かになりやすい素質があると言えます。人生が楽しくなることは間違いありません。これはこれで素晴らしいことです。
 
 
こうした人の特性も、もちろん”神様の恩寵”ではあるのですが、唯物主義が極まる現代においては自爆装置にもなりやすいのです。
 
 
対人関係においてのハイパフォーマンスである”神様の恩寵”を活かしつつも、謙虚であり続けることが出来る人はなかなか居ません。たいていの人は豊かになると謙虚さを忘れて、「自分が何者かになったような錯覚」を自然と持つようになります。
 
 
為政者や経済界の頂点に居る人は「私は神に等しい」と思っている人もたくさん居ますし、芸能人には「私は特別な選ばれた存在」だと思っている人は多いでしょうし、そこまでいかなくても水準よりも経済的に豊かな人や、人脈に恵まれている人は、そうでない人を無意識に見下していることが多いのは否めません。
 
 
”富む”ということは、対極的に心を”貧困”に落とし込む魔力があるのです。富みながらも心の謙虚さ、清貧さを維持できる人が時代を変える本物の傑物だと感じます。(大谷翔平選手のことかな?)
 
 
なぜ、お釈迦さまが栄華極まる釈迦族の王子の座を捨ててまで出家し、自ら極貧に身を落としたのか、その意味を考えれば分かることだと感じます。それは、”富む”ことには悪魔が介入しやすいからです。
 
 
この世の万物の真理を見極めた老子が説いた有名な言葉「すべては逆である」が示す通りです。「人と話すことが苦手な人」は、「自己の内面を豊かにする素質に恵まれた人」だと言えると感じます。
 
 
たとえば、どんなに栄華を極めて数億円の財産や贅沢品、愛人をたくさん抱えていても、死んであの世に行けばそれらのひとつも持っては行けません。持っていけるのは意識ひとつ(精神)です。そうなると、「すべては逆である」に照らし合わせて何が起こるのか。
 
 
人脈、経済には恵まれなかったものの、自己の内面を大切にして、謙虚に人に優しくあろうとした「人と話すことが苦手な人」は、その菩薩のような心をあの世に持って行くことが出来ます。
 
 
人脈、経済に恵まれ、そうでない多くの人を見下し、自分が神にでもなったかのように振る舞っていた「社会的成功者」は、その悪魔のような心をあの世に持って行くことになります。
 
 
この二人があの世に戻った時に何が起こるのかは、言うまでもありません。現実界での唯物的価値観における二人の差は、霊界での精神的価値観においては「すべては逆である」がそのまま起きるということですね。
 
 
「人と話すのが苦手」ということをマイナスにしか考えていなかったのでしたら、それは本当にもったいないことです。その天性の素質を活かす方向で、たとえ独りであっても内面を傷つけず、綺麗に磨いていくことを心がけましょう。
 
 
これには「人と話すことが出来ない」対人恐怖症の場合ももちろん含まれます。むしろ「人と話すのが苦手な人」よりも自己の内面に向かう力が強いですので、その心の大きな闇はいずれ”すべてが逆”になります。(かつての当事者が言うから間違いありません)
 
 
きっと、「すべては逆である」の意味がストンと分かる時が来ると思います😌
 
 
おしゃべりなことが悪い、と言うわけではありませんが、聖者、ラマナ・マハルシも「適度に話すことが大切」だと教えている通り、安定した精神性を維持するためには「自己主張をし過ぎるのは危険」だということでしょう。相手の”我”をニコニコと静観出来るようになりたいものですね!
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

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