お釈迦さま
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
今回のお釈迦さまの教えは、「心地の良い愛情や友情に包まれていたとしても、それに依存せず、独立心を持って生きることが大事」ということについてです。
 
 
お釈迦さまは「犀の角」において”子や妻”への愛情について触れていますが、妻・耶輸陀羅(ヤショーダラー)との間に羅睺羅(ラーフラ)というお子さんがいます。
 
 
ラーフラという名前には「障壁」、「束縛者」という意味がありますが、出家前に生まれたことから、お釈迦さまは「(出家しづらくなるような)ラーフラが生まれた」と出産を報告に来た使いの者につぶやきました。
 
 
使いの者が、そのつぶやきをお釈迦さまの父・浄飯王にそのまま報告したことから、ラーフラと名付けられます。
 
 
お釈迦さまはその後、子や妻との愛別離苦を乗り越えて出家しましたが、ラーフラもまた若干9歳で出家し、史上初の沙弥(しゃみ=20歳未満の出家者)となりました。
 
 
妻子を置いてまで出家し、豪奢な生活を捨ててまで苦行に身を置かれたお釈迦さまだからこそ、原始仏典に説得力を持たせるのでしょう。
 
 

スッタニパータ  第一章第三節 犀(さい)の角 38番

 
「子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。」
 
解釈:子供や妻への愛情とは、枝葉が広がった竹が絡み合うように、振りほどくことが難しいものであり、そこに執着を生んでしまう。そのため、独立して生える筍のように、いつまでも独立心を保ち生きる事が重要である。
 

感想

毎日を一緒に過ごす子供や妻(夫)は、かけがえのない大切な存在である一方で、注意をしていないと最も自分の心を揺さぶる存在とも言えるでしょう。
 
 
時には、人生を棒に振り、身を滅ぼしてしまいかねない、危い関係とも言えます。
 
 
そうならないためにも、子や妻(夫)とは「いつも一緒に居て当たり前」な関係ではなく、毎日が一期一会であることを意識し、感謝を忘れないように心がけることが重要です。
 
 
自分が率先して「ありがとう」を意識的に言うようにすれば、子や妻(夫)にも自然と伝播して、「ありがとう」を言い合うことが習慣化されるでしょう。
 
 
そしてそれは、子や妻(夫)を独立した人間であることを意識し、自分もまた独立した人間であることを意識することに繋がります。
 
 
 

スッタニパータ  第一章第三節 犀(さい)の角 39番

 
「林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。」
 
解釈:林の中で牡鹿が昼夜問わず、単独で食物を悠々と求め歩くように、常に独立した心で生きる人が、真に自由で聡明な人である。
 

感想

牡鹿は習性として単独行動を好み、反芻動物のため2~4時間おきに昼夜問わずに餌場を求めて移動するそうです。
 
 
そうした中で、次第にテリトリーを広げて行き、メスの群れを囲い込んで一夫多妻制を築きます。
 
 
お釈迦さまの仰る”聡明な人”とは、どこにも縛られずに、執着せずに、独立した心で自由に生きて行ける人のことを指しているのでしょう。
 
 
ここに、お釈迦さまが誕生される時に言い放ったとされる、「天上天下唯我独尊」を体現できる人、とも言えるかも知れません。
 
 
つまり、「誰もが身分に関係なく、生まれたままに、独立して尊い存在である」ということですね。
 
 
変なしがらみや執着に囚われることなく、集団の中に居ても、いつも独り颯爽と生きている人、それが”聡明な人”なのでしょう。
 
 
 

スッタニパータ  第一章第三節 犀(さい)の角 41番

 
「仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。」
 
解釈:仲間に囲まれていれば楽しい事は尽きないし、子供や妻らへの愛情は他に比べるものが無いほど甚大である。しかし、そうした愛すべき者たちとでさえ、いつ別れが来ても心を揺さぶられぬよう、独立した心で歩むことが大切である。
 

感想

友達と遊んだり、飲み会をするのは本当に楽しいですよね。別れ際に駅で長々と話し込んでしまい、電車を数本遅らせた経験がある方も少なくないでしょう笑
 
 
妻(夫)や子供たちへの愛情は、自分の命をもってしても測れない人も多いと思います。
 
 
「妻子のためなら10回でも死ねる!、、、いや痛いの続くのも嫌だから5回くらいにしておこう」なんて考えたりもしますが笑
 
 
そうしたかけがえのない存在であっても、いつ唐突に別れが来るかは分かりません。
 
 
そうした瞬間が来たとしても、心を揺さぶられて自分を見失わないように、常に独立した心で接し、生きることが大切だということですね。
 
 
まぁ、そうした瞬間が来たら揺さぶられるのはしょうがないですが、いつまでもウジウジ悲しむのも亡くなった人を心配させますので、思いっきり悲しんだら次の瞬間は笑う、くらいの覚悟で生きていたいものですね。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

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