考える
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
人生論となると基本的には努力することばかりになってしまいがちですが、今回は「頑張るよりも、無理せず出来ないことを受け入れる」方向で、安心した人生を送れる方法を考えてみたいと思います。
 
 
「~をするべき」という”べき思考”から離れて、心の余裕をいつでも持てるようにしたいものです。
 
 
タイトルにある“マイナス思考”と言うのは、ネガティブな表現ではなく、人生からポジティブに出来ない事をマイナスしていく思考のことを指しています。
 
 
まずは、このポジティブなマイナス思考が、どういう考え方なのかを紹介していきたいと思います。
 
 
この記事で言うプラス思考とマイナス思考は、いわゆる”良い考え方”、”悪い考え方”とは捉え方が違いますのでご注意ください。
 
 

人生にプラスをするのではなく、マイナスをしていく

 
 
僕たちは、幸せになるためには「頑張らないといけない!」、「お金を稼がないといけない!」と、自分に鞭を打って頑張らないと幸せは手に入らないと考えがちですね。
 
 
つまり、これが努力をして必要なものを付け足していく”プラス思考”です。
 
 
勉強して学力をつけたり、練習して運動能力を向上させたり、仕事に邁進して収入を上げたりなど、付け加えていくことで余裕が生まれていき、達成感や幸せなども感じることができるでしょう。
 
 
これは素晴らしいことですし、実践可能ならば努力した方が良い事は言うまでもありません。
 
 
その一方で、過度に心身を酷使してまで行う努力は、時としてやらざるを得ない状況もありますが、心の均衡を失って結果的に状況を悪くすることも往々にしてありますし、こうしたプラス思考には気をつけなければいけない、次のような罠が潜んでいます。
 
 
  • 人間の欲望は際限がない事から、プラス思考を意識し続ける限り渇望状態が続くことになる
  • 自己の利益を目的とした能力を磨くことに腐心しすぎると、精神性が高慢になり、いわゆる”学に溺れる”ことになりかねない
  • 現代でいうプラス思考とは、お金を稼ぐ価値観に結びつけられやすいため、人生の本質を見失いやすくなる
これらを完全に意識下に置いてコントロールでき、人間性の向上に直結させられる人は、いわゆる傑物の類です。
 
 
分かりやすいところで例を挙げると、大谷翔平選手などはまさにこのタイプですね。
 
 
ちょっと前にYahoo!ニュースの記事で取り上げられていましたが、大谷翔平選手は年俸が約6億円ありながら、家賃は50万と控えめで(庶民からすれば凄いですが笑)、成績を上げるためのストイックな生活を毎日していることがわかりました。これは高校時代から変わってないようですね。
 
 
僕を含めた普通の人は、こんなストイックな生き方はできません。目の前の煩悩に振り回され、人生をコントロールできずに苦しんでいる人の方が圧倒的に多いでしょう。
 
 
つまり、プラス思考の罠に陥りやすく、努力と怠惰の板挟みになり、人生をもがき続けることになります。
 
 
  • 「休みたいけど、頑張り続けないと、世間に置いていかれる」
  • 「本当の自分は弱いのに、強い自分を見せ続けないと、誰からも見放される気がする」
  • 「いつも走り続けていないと不安になる」
 
 
など、感じていませんか?
 
 
何事にも振り回されず、心を落ち着けて安心して取り組んでいくためには、現状を正しく受け入れることから必要になります。
 
 
他人が自分を焦らせているのではなく、結局自分が勝手に焦っているだけだという事実を、しっかりと認識する必要があります。(いじめやパワハラはまた別ですが、)
 
 
この世の中と自分を、正しく認識して受け入れるために必要な考え方が、ポジティブなマイナス思考だと感じています。
 
 
 

「それでもいいじゃない」「しょうがない」というポジティブな諦めが重要

 
 
ポジティブなマイナス思考とは、「できない事はしょうがないから、できる範囲で頑張ろう」ということを自然体で素直に受け入れられる姿勢の事を指します。
 
 
間違えてはいけないのは、できないことを放棄して怠惰になることを意味しているわけではありません。
 
 
出来ない事は素直に認めてしまい、謙虚に今出来ることを一生懸命にやろう、という姿勢です。
 
 
しかし、そうは簡単には思えないのが人間というものですね。
 
 
上手く行っている他人が妬ましかったり、対照的に落ちぶれている自分が情けなく許せなかったり、何とも煮え切らない不満感からストレスだけが募っていき、素直になれない時期というのはあります。
 
 
また、自分が謙虚になるという感覚が嘘臭く、まるで現実感を伴わないこともあるでしょう。
 
 
自分はいつかは成功する、という根拠の無い自信に振り回されることも往々にしてあります。
 
 
こういう時期も人生には大切だと感じます。素直に出来ないことを認められない時期は、とことんあがいてみましょう。こうした不条理を味わう中で、余計なものがそぎ落とされて行って、自分というものが分かってくるものです。
 
 
この”余計なもの”とは具体的に、、
 
 
  • 「成功・お金というものへの漠然とした憧れ」
  • 「自分を周囲に良く見せるための虚栄心」
  • 「”これが自分”だと思い込んでいた固定観念」
 
 
こうした感情を”余計なもの”と感じる事ができるようになるかどうかは、「どれだけ前向きに失敗を重ねることが出来るか」ということが重要になってくると感じます。
 
 
また、「どれだけ正しく幸せの本質を観ることが出来るか」という姿勢を意識し続けられるかにかかっています。
 
 
前述の通り、人生にプラスし続ける幸せには際限がありません。どれだけ裕福になろうが、理想の容姿の相手と結婚しようが、”正しい謙虚さ”を持ち合わせない限り、その先を追い求め続けてしまい、手に入った幸せには必ず飽きます。
 
 
「美人は3日で飽きる」という比喩表現がありますが、一度”富”が手に入ってしまうと、それを失わないように、より多くの富を手に入れるように、焦燥感や飢餓感をいつも抱えるようになります。欲望に歯止めが利かなくなります。
 
 
こうした人生が悪い、と言っているわけではなく、欲望を満たし続ける人生が楽しいと感じるなら、それを目指せばいいでしょう。それもひとつの経験ですし、その経験をしたことで「見せかけの富に真実は無い」と、本当の自分に気づく人も居ると思います。
 
 
その一方で、欲望を満たす人生とは対照的に、「平穏に、安心感と幸せを感じて生きていきたい」という所が人生の目的なら、こんな修羅の道を歩む必要はまったくありません。むしろ、その道は本当の幸せからはドンドン離れて行ってしまいます。
 
 
もし、ネガティブに人生を捉えてしまう癖があると感じるなら、「そのネガティブは、本当に悪いことなのか?」と、良いマイナス思考に転換できないかを考えてみると何か気づきがあるかも知れません。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

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