不登校問題
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
以前から、たまに小学2年生の娘が拒食症になったり、不登校になったりと書きましたが、まだ絶賛不登校中なので記録する意味でも書いていきたいと思います。
 
 
うちは経済苦から健康問題、社会生活上の問題など、あらゆる問題を抱えがちなので、「愛猫・めいこの闘病記」と併せて公開していった方が、ブログの記事にも説得力が生まれるかな、と感じます。
 
 
経済的に自由で、順風満帆に社会生活を送っている時ではなく、経済や健康、家庭生活・社会生活に苦労し、明日自由が脅かされるかも知れない中でこそ、心の真価が問われます。
 
 
そんな苦の中でも、正道を見失わずに、毎日笑顔を絶やさずに生活することが大切です。(うちは朝から晩まで笑いが絶えません)
 
 
苦の中にこそ、幸せや心の自由を見つけるための学びがあるからですね。
 
 
”苦”を体験する事で、気づき、学び、幸せに向かえるのですから、生きる上で、”苦”以上のギフトはないわけです。
 
 
山に籠っての修行や、ヨガや瞑想などのスピリチュアルな体験ではなく、何の変哲もない日常の生活こそが最大の精神修行の場であり、悟り(真の覚醒)にも直結します。(もちろん目指さないといけないわけではありません)
 
 
「人生とは本来単純なものだが、人はそれを複雑にしたがる」という孔子の言葉があります。
 
 
これの真意は、「良心に沿って、感謝をいつも忘れない生活を心がければ良いだけだよ」ということですね。
 
 
本当の幸せとは、非常にシンプルなのです。
 
 
それを、色々と言い訳をして逃げたり、他人と比較して思い悩んだり、妄想を膨らませて物事を複雑にすると、本当の幸せに気づけなくなります。
 
 
この考え方を根底に置きつつ、娘の不登校問題についても定期的に書いていきますので、何か気づきの参考になる部分があれば嬉しく思います😌
 
 
僕の日常生活での意識の在り方を、リアルに感じ取れる記事になると思います。
 

これまでの簡単な経緯:娘の不登校は2年生から始まった

 
娘は1年生の頃は普通に学校に行っていましたが、2年生に上がってから先生がおじさん先生に変わり、大きな声が怖くて苦手ということで不登校になりました。
 
 
この頃から、肉を始めとした食事が飲み込めなくなり、拒食症になってしまったわけですね。
 
 
はじめの1か月間は、色々手は尽くしてもほとんど何も食べられない状態で、とても心配しましたが、不思議と娘の様子はまったく変わらず、いつも通り朝から晩までハイテンションでした😅
 
 
今はほとんど食べられるようになっていますが、肉だけは飲み込めないことが多いようです。
 
 
拒食症については、ほぼ問題解決したと言えるでしょう。
 
 
おじさん先生は1学期だけの担任で、2学期からは産休明けの優しい女性の先生が戻ってきましたが、それでも不登校が治らなかったので、本当の問題は他に潜んでいることが分かりました。
 
 
月1回、市立病院の不登校児向けのカウンセリングに通っていますが、学校でいじめられているとか、勉強や運動についていけないとかは無く、娘は学校が嫌いというわけではないと言います。
 
 
プールのある日は喜んで行くこともありました。(現金ですね笑)
 
 
今は、週に1、2回学校に2時間目まで何とか行けていますが、行けばクラスメートとも話すし、別クラスになってしまった1年生の頃の友達とも会えば話すようです。
 
 
妻が毎日宿題やチャレンジのタブレットで勉強を観ているお蔭で、勉強も遅れているということはなく、むしろカウンセリングの先生からは「6年生以上の言語能力や、平均以上の理解力と器用さがある」と言われています。
 
 
娘の元々のポテンシャルの高さが救いになっている面はありますが、直接的なお世話の機会が少ない僕はまだしも、朝から晩まで面倒を観ている妻の心労がとても嵩んでいます。
 
 
僕もリモートワークでいつも家にいるので、そうでない家庭の男性以上に娘の世話はしていると思いますが、妻は娘の面倒見と家事の両立で心労が嵩む、僕はそうした娘と妻を観つつ、仕事を掛け持ちしてギリギリの月の支払いに腐心することに心労が嵩む、という状況です。
 
 
加えて、今は愛猫・めいこの闘病もありますから、問題のデパート状態で、先日ついに妻が限界を超えたため、夜中に倒れて救急搬送されてしまったわけですね。
 
 
幸い、めいこは酸素室のお蔭で九死に一生を得て、今はご飯が食べられるところまで回復しましたが、ジェットコースターのような忙しい毎日を送っています。

娘の不登校の”何”が問題か

 
子供が不登校だと何が問題になるでしょうか?
 
 
  • 学校での勉強について行けず、落ちこぼれてしまう?
  • 友達との楽しい生活を体験させてあげることができない?
  • 社会生活を送る機会を得られず、将来苦労することになる?
  • 家庭で面倒を観ることにも限界がある?
 
 
どれも、不登校の子供を抱える親御さんは、深刻な問題として悩むと思います。
 
 
共働きで子供の面倒を観られない家庭もあると思いますので、その点で言えばうちはまだまだ恵まれている方だと感じます。
 
 
世の中、もっと修羅場を経験している家庭は数多くあります。
 
 
上記の問題は、妻と共有しており、たまに真剣に話す機会を設けて対策を練っていますが、基本的な考え方として一致しているのが、「娘の考えを第一に尊重する」ということです。
 
 
親の勝手な都合、希望で、娘に無理強いをしてでも改善を要求することは無いように、細心の注意を払って接しています。
 
 
あくまで、娘の人生ですから、娘自身で選択して、切り拓いていけるようにサポートしていきたいわけですね。
 
 
それが例え、”一般的”に観て、娘が”当たり前”ではない生活を送る事になろうと、娘に”普通になるように”無理強いすることは良くないと感じています。
 
 
娘がマイノリティになることを恐れるのではなく、マイノリティになる性格なのであれば、それを最大限に活かすことができるよう、サポートをすることが重要だと考えています。
 
 
とは言っても、これは前提としての考え方であり、社会生活に極力参加するように促すことは大切ですので、社会参画することの重要性について、妻と僕それぞれで違う角度から娘に話をしています。
 
 
子供の不登校問題に向き合ってみて一番大切だと感じるのは、夫婦で問題をよく話し合い、”子供の心を守る視点”を大切にして対応の方向性を決めることだと感じます。
 
 
話すと喧嘩をしてしまう夫婦なら、”子供の心を守る視点”で共通点を見つけ出し、それ以外の部分では”子供のため”に自分から折れてあげる必要もあるかも知れません。
 
 
パートナーが子供のためを思わない、親都合で身勝手な考え方しか出来ないなら、離婚に繋がるケースもありますし、ネット上に母子家庭・父子家庭の問題として散見されます。
 
 
でも、”子供のため”を想うため、生活費のために離婚を選択できない母親も居るでしょう。
 
 
こうしたご家庭は本当に辛いと思いますが、”子供のため”という気持ちを失わない限り、生きる活力は失われないと思いますので、やはり子供への愛情力を意識的に深めることも重要だと感じています。
 
 
天台宗の祖・最澄の言葉で「子は国の宝」と言いますが、地球霊・国常立太神様は人間を産み出した親ですから、「国と子たち太神」なのであり、子供(人類)が存在しなければ親(国・地球)も存在しないことを意味する神様なのです。
 
 
「子供を大切に」この気持ちを中心に据えて生きることは、幸せに向かう最大のヒントになると感じます。
 
 
結婚していない、あるいは子供に恵まれない家庭であっても、世の中の子供たちに意識を向けることで、人生を切り開くきっかけと成るかもしれません。
 
 
いきなりは難しいので、卑屈に考えず、少しずつ”素直に”目を向けてみるという意識が、何事にも共通して重要だと感じています。
 
 
ワーキングプアで結婚できず、価値が無い人間だと考えていた30代男性が、通学中の子供たちにたまたま「おはようございます!」と言われたことで嬉しくなり、子供たちの笑顔が観たいと、カブトムシを育てて学校に寄贈したエピソードがありました。
 
 
子供たちは、男性にお礼の似顔絵とお手紙を書いたことで、男性は感動して子供たちを喜ばせる行動をライフワークとするようになったようです。
 
 
子供への虐待事件が年々過去最高を更新する現代ですが、幸せの根幹には子供があるという考え方には、ひとつの真理があるのではないかなぁ、と感じます。
 
 
少しでも、ご参考になれば嬉しいです😊
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

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