禅語
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
悪い習慣を直して、良い方向へ「自分を変える」というのは簡単なことではありませんよね。
 
 
禅語「安禪不必須山水(あんぜんはかならずしもさんすいをもちいず)」とは、簡単に説明すると
 
 
「心安らかに過ごすことが出来る場所は、必ずしも川のせせらぎや静けさに包まれた山のような環境でないといけないということは無い」
 
 
というような意味で使われます。
 
 
つまり、「自分がいつも安心して落ち着いた心で居る為の環境はどこでも良い」ということですね。
 
 
今回は、そうした心境に向かうための方法というよりは、そこまでの障害や心理的変化などについて端的に簡潔に書いてみたいと思います。
 
 

1 自分のダメな部分に向き合う

 
「自分を変えよう」と思った時、まずはじめに直面するのが「認めたくない不甲斐ない自分」、「直視できない恥ずかしい自分」であることが多いですね。
 
 
自分のダメな部分が多すぎて、中々重い腰が上がらないこともあるでしょう。
 
 
そして、次に思い浮かぶことは「こうした自分になったのは〇〇のせいだ」という環境のせいにしてしまう言い訳です。
 
 
今の過酷な状況に陥った経緯を思い出し、ふつふつと怒りがこみ上げるかも知れません。
 
 
最初の一念発起する段階では、こうした言い訳や怒りを飲み込む作業を行うか、もしくはそれらを起爆剤にして行動を起こすか、その人の性格によって選択肢は変わってくるでしょう。
 
 
いずれにしても、「自分を変える」という行動を起こすためには、大きなモチベーションが不可欠です。
 
 
「自分のために自分を変える」よりも、可能なら「誰かのために自分を変える」の方がモチベーションを高く保てる傾向がありますが、これはその人の境遇もありますので、なんでも良いと思います。
 
 
 

2 行動を起こすと、一定の居心地悪さが付きまとう

 
 
「自分を変える」という行動は、それまでの慣れ親しんだ自分を変えて行くということなので、違う自分になってしまうような一定の居心地悪さを感じるかも知れません。
 
 
例えば、性格が大人しい人が、人前で発言出来るハキハキとした人に憧れて自分を変えようと思い立った時、それまでに積み重ねてきた対人関係の失敗や、それによるコンプレックスと真っ向から向き合う必要があるでしょう。
 
 
それでも社会で自信を持って生きていくためには必要だと感じ、自分をさらけ出す行動を起こし始めると、言い知れぬ不安感や焦燥感との闘いになるだろうと思います。
 
 
また、勉強やスポーツで自分を変えようと思い立った時も、目の前に大きな壁を感じることになると思います。
 
 
「本当に自分に出来るようになるのだろうか。。」という不安が付きまとうでしょう。
 
 
それまでの人生において、一定の成功体験を持っている人であれば、この不安感は幾分抑えらえると思いますが、自分を変える行動にはやはり大きなエネルギーが必要になります。
 
 

3 ちょっとずつ自分が変わっていることを実感する

 
 
自分を変える行動を続けてしばらくすると、ふと数か月前を振り返った時に「あれ?少し前の自分よりも確かに成長したな」と感じる瞬間がありますよね。
 
 
この体験が出来れば、とても大きな成功を手に入れたと言っても過言ではないかも知れません。
 
 
なぜなら、どんな成功者もこの小さな成功体験の積み重ねを、誰よりも続けただけなのですから。
 
 
でも、多くの人は愚直に自分を変える行動を継続することが出来ません。
 
 
1回目、2回目くらいの成功体験で満足してしまうか、エネルギーが尽きてしまって自然と現状維持に留まってしまうためです。
 
 
それでも自分を少しでも変えたのですから素晴らしい事ですし、またいずれ自分をさらに変える機会がいつか巡ってくることもあります。
 
 
その一方で、さらに成功体験を重ねて進んでいくためには、何が必要になるのでしょうか?
 
 

4 現状を受け入れて、素直に謙虚に目の前のことを頑張れるように意識する

 
ここでは成功者になるための方法を提案したいわけではありませんので、成功者に必要な考え方は割愛したいと思います。もちろん参考になる部分も大いにありますが、概ね一般的では無いと感じます。
 
 
平凡であっても、どういう環境でも自分を見失わないように、安心して居られる「安禪不必須山水」の心境を目指すことを考えてみましょう。
 
 
結論から言えば、「今この瞬間を、素直に、謙虚に目の前のことを頑張れる人」であれば、「安禪不必須山水」の心境に向かうだろうと感じます。
 
 
言ってしまえば、必要なのは”これだけ”だからです。
 
 
真実とはいつもシンプルだと感じますが、シンプル過ぎてそこに向かうことがとても難しいのだと感じます。
 
 
逆説的に言えば、多くの人が難しく考えすぎています。
 
 
考えなくていいことまで、難しく考えすぎて、自分をがんじがらめに縛っている人が本当の多いと感じます。仏語で言えば「無縄自縛」の状態です。
 
 
不安を創るのは自分です。怒りを創るのは自分です。相手に疑心暗鬼になるのも自分の心が発端です。
 
 
この事実を、どこまで真剣に見つめられるか、自分を正しい厳しさで律することが出来るのか、そしてそれらをあたかも自然体で出来るようになるために意識をし続けられるかが、自分を変えて行くための大きなポイントだと感じます。
 
 
少しでも参考になる部分があれば嬉しいです😌
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

↓ほぼ日配信の通知を受け取るにはツイッター等のフォローをご利用ください↓