幸せとは
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
今日は、禅語「日日是好日(にちにちこれこうじつ) 」について考えてみたいと思います。
 
 
中国唐の時代に生きた雲門宗の開祖、雲門文偃(うんもん ぶんえん)の言葉で、公案集「碧巌録」にあるこの禅語の意味は
 
 
「日々に良し悪しはないのだから、毎日が尊い一日だと感じて過ごしましょう」
 
 
というような解釈がされます。
 
 
この禅語は、人生が好調な時に読めば素直に受け入れられると思いますが、絶不調の時に読むと「そんなわけがない!」と思うかも知れませんね笑
 
 
この禅語は確かに真理を突いているとは思いますが、これを受け入れるには少し高度な精神を要求されると感じます。
 
 
というのも、死にたくなるような絶不調の時にも「”悪い”ということは、そもそも無いんだ。それは自分の感じ方の問題だけなんだ」と考えられる人というのは多くはありません。
 
 
会社経営者やスポーツ選手、その他その道のプロであれば、こうしたメンタルトレーニングは積んでいる人が多いので分かるかも知れません。
 
 
しかし、普通に生きていればメンタルコントロールなんて身に着ける縁には中々出会いませんから、こうした思考は出来ない方が当たり前だと感じます。
 
 
この前提の上での、「日日是好日」を考えてみましょう。
 
 
この言葉を置き換えると「日々を素直に、感謝をして生きていく」ということだと感じます。
 
 
楽しい時は思いっきり楽しみ、悲しい時、辛い時は、素直に思いっきり泣けばいいのです。
 
 
しかし、それでも卑屈にならず、自暴自棄にならずに、「それでも生きているんだから、まずは生きていることに感謝しよう」と思えるかどうかだと感じます。
 
 
「死にたい」と思う人は多いですが、実際に本当に今すぐにでも死にたいと思っている人はごく僅かです。
 
 
単純に気持ちが落ちているだけであり、本来は精一杯生きたいと思っているのですから、普段からこの気持ちを強く意識しましょう。
 
 
「死にたいと思う時もあるけど、それでも生きたいんだからウジウジしている時間が勿体無い!!」
 
 
という、強い覚悟を常に意識しておくことです。
 
 
この覚悟を持てた瞬間に、読んで字のごとく、あなたはひとつの”悟りを覚えた”ことになります。
 
 
結局、いつかは立ち直らないと前に進めないのですから、悩んでいる時間が勿体無いという”勿体ない精神”をいつも持っていると、少しは生きやすくなるかも知れません。
 
 
それに加えて、「自分が何によって生かされているのか」を深く考えて、感謝の念を普段から膨らませておくと、人生の絶不調に陥った時にリカバリーがしやすくなるでしょう。
 
 
少しでも、参考になれば嬉しいです😊
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😌

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