<神様を科学的に解明 その4>僕たち人間は、”神様の卵”です
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
 
タカミチです。
 
 
石川県の大地震は、想定されていた被害規模には至っていないようですが、現在までに死者1人、重傷者88人、 軽傷者250人となっているようで、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
 
 
新年早々に大きな試練の中にある被災地の方々を想うと胸が痛いですが、前回記事で「神様からの警告」と書いたことで色々と考えていたところ、地震つながりで自信(自神)についての思考に発展してしまったため、備忘的に書いておきたいと思います。
 
 
ざっと急いで書きたいので、曖昧表現ではなく、あえて論文調の確定表現で書きたいと思います。
 
 

 僕たち人間は、自信(自神)を大きくするために生まれてきている 

 
僕たちは、この現実界に存在すると同時に、霊界にも存在しています。森羅万象は2つで1つであるという、陰陽の法則の上で成り立つためです。
 
 
表宇宙(現実界)、裏宇宙(霊界)合わせて、初めて僕たちは存在することが可能になります。肉体だけでこの世に存在しているわけではありません。
 
 
そして、森羅万象の主体は霊界であり、魂であり、この現実界は霊界(想念)が生み出した虚構の世界です。
 
 
このペアの世界を産みだしたのは根源の神様ですが、根源の神様とは愛という概念そのものの存在です。
 
 
愛とは、慈しみ育む”生産の力”ですが、根源の神様にも陰陽の法則があるとすれば、対極の悪である反発し憎む”破壊の力”が同時に生まれることになります。
 
 
この2つの相克による”維持する力”も加わり、「創造・維持・破壊」によってすべての次元は運営されます。この三位一体により、大宇宙は発展を続けます。
 
 
はじまりの神様である根源神は、絶対的な愛であり、同時に悪でもあるわけですが、そもそも善悪の価値観は人間の知能の範囲での捉え方です。
 
 
神様に、善も悪もありません。なぜなら、どちらも大宇宙の発展には欠かせない概念だからです。
 
 
ただ、この大宇宙は優性の法則が根幹にあって、「発展をし続けよう」という善の意思が最終的に残るため、人間の価値観では「善が正義」だと感じるわけです。
 
 
愛憎表裏一体とは言いますが、パワーバランスで言えば圧倒的に「愛>憎」となるのです。
 
 
これは、存在できる次元が「愛(11次元まで)」、「憎(7次元まで)」と、愛の方が憎よりも4次元も上の次元があるためだと考えられます。これが根源神の初期設定です。
 
 
悪は、悪としての重要な役目を果たしており、大宇宙の発展に役立っていますが、悪の性質は破壊ですから、どれだけ役に立とうが地獄的苦痛の次元に向かう性質を持っているということになります。
 
 
そして大宇宙の発展には、この愛(創造)と憎(破壊)を実行する担い手が必要です。
 
 
それが、僕たち人間だというわけですね。
 
 
なぜ人間なのか。それは、内在神を右胸に宿すことでこの世に存在しているからです。動植物の存在も重要ですが、あくまで大宇宙の運営の担い手は人間です。
 
 
内在神を宿すということは、置き換えると”神様の卵である”と言えます。誰しもが、努力次第で神様に成れる存在です。
 
 
その神様予備軍の僕たち人間は、日ごろからの行動や想念により、悠久の時をかけて大宇宙を発展させ続けてきました。
 
 
霊界ではこの発展が起きません。なぜなら、魂の性質によって神界から地獄界まで完全に次元分けされた、固定された世界だからです。
 
 
時間の概念がありません。想念(意識体)の世界なので、すべてが同時多発的に存在する次元です。
 
 
だからこそ、大宇宙を発展させるための虚構の世界、つまりこの現実界が生まれるのです。なぜ現実界が虚構かと言えば、それは霊界があるから現実界が存在するためです。
 
 
その一方で、現実界が発展したことで、霊界に新たな次元が形成されます。
 
 
幽界や地獄界などの世界がそれにあたりますが、これらも当然重要な大宇宙の発展の一部です。ただし、原初の世界は神界と現実界だけでした。
 
 
その発展の中で、人間は多くの神様や精霊様も新たに産み出し続けてきたのです。中には、自身が神上がりした人間も存在します。
 
 
「神になる」というと、唯物的な現代人類の価値観で捉えると、富や権力、傲岸不遜な考え方に結び付けがちです。宗教団体の教祖が良い例です。
 
 
しかし、そもそも、その捉え方自体が根本から違います。
 
 
「善悪の価値観を超えて、他の為に愛を与える存在」が神様です。
 
 
ここまでが前置きで、何が言いたいのかというと、「僕たちは、神様を目指すルールの中で生きている」ということです。
 
 
そのために、輪廻転生というルールが存在しています。極端な言い方をすれば「今生で神上がり出来なければ、来世で目指してね」となるわけです。
 
 
そう考えると、根源神の手から離れた時から、僕たち人間に大宇宙の発展が任されてきたということになります。
 
 
ただ、これはあくまで僕たちが存在する大宇宙の神界においての話です。並行宇宙では、僕たちの宇宙とは全く違う発展をしている次元もあるでしょう。
 
 
そうはいっても、僕たちの生活は、神様を目指すには程遠い平凡な人生に感じるものです。
 
 
「私なんかが神様に?冗談でしょ」という反応がある意味正常です。
 
 
しかしくどいようですが、この価値観自体がすでに唯物的であり、神秘家、ルドルフ・シュタイナーが言うところの「眠ったまま生きている」状態です。
 
 
辛辣に感じるかも知れませんが、何も「神様を目指そう」と提案したいわけではありませんし、畏れ多いことですので僕も目指しているわけではありません。
 
 
伝えたいことは、「人生が平凡であるかどうかは、神性を発揮するためにはまったく関係ない」ということです。
 
 
現代人が感じる”平凡”とは、ゴリゴリの資本主義経済の中で、唯物的思想において評価される基準によるものですから、これは霊界に持ち込むことは出来ない何の役にも立たない価値観です。
 
 
平凡である中でも、森羅万象から日々生かされていることへの感謝を忘れずに、愛を発揮して生きていく
 
 
ただこれだけを体現できるかどうか、それを僕たち人間は神様から試されています。
 
 
自信を育てていくことが、自神(内在神)を大きくしていくことになりますから、どんなに自分が平凡だと感じても、心を綺麗に保つ意識を持ち続けることが出来るなら、大きな自信を持って欲しいです。
 
 
例え、万年平社員でも、あなたの自神は地球サイズに成長するかも知れません。
 
 
 
あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
 
明日も善い一日となりますように😊

   

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